2025年の私が、ここに記します。
あの頃の社会は、まだ不完全だった。
違いは分断を生み、優しさは時に声を潜めていた。
障害、病気、感性、価値観 -“個性”が理解されず、孤立の中にいた人も少なくなかった。
でも私は、未来に希望を抱いています。
技術が進歩すれば、視力を失った人も空の色を感じる日が来る。
耳が聞こえなくても、振動や光で言葉を受け取れる未来がある。
手足を失った人も、自然に近い動きができるようになり、心と身体が再び繋がる感覚を取り戻せるかもしれない。
そして、子どもたち。
今はまだ、残酷さが無邪気にまぎれてしまう時代かもしれないけれど、
共感を学び、人を思いやることが“かっこいい”とされる社会へと変わっていくだろう。
教室では“違い”を知ることが特別な授業ではなく、日常になっている。
働き方も、ひとつじゃない。
オンラインとリアルの境界は消え、自分に合ったリズムで働ける社会が根づいている。
年齢、地域、能力の違いは壁ではなく、彩りになっていく。
もちろん、まだ課題は残っている。
悪質な詐欺、闇バイト…人の弱さにつけ込む影はあるかもしれない。
でも人々はそれを“異物”として受け流すのではなく、根を見つめ、手を差し伸べるようになっていく。
この日記は、そんな理想社会へのひとつの手紙。
現実は完璧じゃなくても、思い描くことで、少しずつ近づける。
だから私は今、未来の日本をこう願っている——
「悲しみが少なく、尊重と優しさが普通に息づく世界になりますように。」
