『はだしのゲンはまだ怒っている』を鑑賞して感じたこと

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■ 映画を観るまでのこと

この映画を観たのは今年の1月です。

その後、文章を読み直したりしながら少しずつ精査していました。

実は、昨年12月末から久しぶりに仕事を始めたこともあり、正直なところ疲れ気味で、ブログからしばらく遠ざかっていました。

機械加工の仕事は経験があるとはいえ、フルタイムで続けるとやはり体にきます。

昔は「スピードが遅い」とよく言われたものですが、今は経験があるからか特に何も言われず、どうにか続けられています。

3月になり、契約更新もできたので、まずは一安心です。

そんな状況なので、今後は更新ペースが少しゆっくりになるかもしれませんが、ブログは続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

改めて──

1月17日、シネマテークたかさきで鑑賞しました。

この日は偶然にも舞台挨拶がある日で、館内はとても混んでいました。

私はそのことを知らずに行ったため、映画が終わったあと帰ろうとしてしまい、周囲が残っているのを見て「もしや」と思いとどまりました。

そして、個人的に少し気まずい出来事もありました。

私はいつもPayPayでチケットを購入するのですが、radikoを聴きながらイヤフォンをつけているため、決済時の「PAYPAY」の音が鳴りません。

以前もそのことで指摘されたことがあり、今回も同じ方に当たってしまい、何度も同じことを言われたため、つい「イヤフォンで音を聴いてっからでねんだよ〜」と声を荒げてしまいました。

映画の前に少し感情が揺れた出来事でした。

■ 作品を観て感じたこと

タイトルにある「まだ」という言葉が、観終わったあとも胸に残りました。

私たちが子どもの頃、多くの学校で『はだしのゲン』の上映会が行われていました。

しかし近年は「ふさわしくない」という理由で扱われなくなってきていると聞き、ずっと気になっていました。

広島市の見解では、作中の「鯉を盗む描写」が問題視されたようです。

しかし、戦後の混乱期は食べ物がなく、闇市で高価なものを買うか、盗むしかない時代でした。

映画の証言者の中にも「米を盗んだ」と語る方がいました。

その方は後に教師となり、定年まで勤め上げています。

この映画は、戦争を知らない世代が増える中で、原爆の記憶が薄れていくことへの危機感を強く示しています。

映像は過去を映しているのに、語られる言葉は明らかに“今”に向けられている。

「忘れられること」こそが、二度目の悲劇なのだと突きつけられました。

怒りというより、静かに胸の奥が熱くなる感覚が続きました。

怒りはただの感情ではなく、伝え続けるためのエネルギーなのだと感じました。

■ 批判の背景とその経緯

『はだしのゲン』には、以下のような批判が向けられてきました。

  • 歴史認識の偏り
  • 描写の過激さ
  • 実相が伝わりにくいという指摘 具体的な動きとしては、

  • 松江市教委(2013年)の閲覧制限

  • 広島市教委(2023年)の教材からの削除
  • 足立区議会への撤去陳情

などがあります。

しかし、証言者たちは「現実はもっと酷かった」と語っています。

描写が過激という批判は、むしろ“現実を直視したくない側の都合”にも見えました。

私は、作品そのものよりも、それを“危険視する空気”のほうに強い違和感を覚えました。

■ 特に印象に残った点

  • 証言者の言葉が時代を超えて生々しく響く
  • 「怒り」を扱いながらも、暴力的ではなく静かな強さがある
  • 原爆を“過去の出来事”として扱わない姿勢
  • 若い世代に向けた明確なメッセージ

■ 今の自分にとっての意味

この映画を観て、「語り継ぐ」という行為は特別な人だけの役割ではなく、作品を観た一人ひとりが担うものだと感じました。

完璧な文章でなくてもいい。

感じたことをそのまま残すだけで、それは“記憶をつなぐ行為”になるのだと思います。

■ 事実を知るということ

この映画が秀逸だと思ったのは、日本が原爆の被害者であるだけでなく、アジア諸国を植民地化した加害者でもあった事実をきちんと扱っていた点です。

アメリカでは原爆投下が「戦争を終わらせた手段」として語られ、その後の教科書にはほとんど載っていないと言われています。

日本でも、アジアへの加害の歴史を詳しく学んだ記憶は多くありません。

どの国も、都合の悪い部分は隠したがる──その現実を改めて考えさせられました。

■ 舞台挨拶で感じたこと

舞台挨拶では、後藤寿一氏の見解にも触れられました。

後藤氏は『はだしのゲン』を「特定の歴史解釈に基づく」「手品のような作品」と批判しています。

しかし、監督は「中国や韓国を植民地化した事実を受け入れられない人がいる」と語っていました。

私自身も、後藤氏の認識には少しズレを感じました。

■ まとめ

『はだしのゲンはまだ怒っている』は、怒りをテーマにしながらも、その奥にある“生きてほしい”という願いが強く伝わってくる作品でした。

言葉にしづらい映画ですが、だからこそ、少しでも書き残しておきたいと思いました。

実は私は戦争映画がとても苦手です。

特に夏になると必ず放送される『火垂るの墓』は、妹が亡くなる場面を何度観ても胸が締めつけられるように苦しくなります。

ただ、今回のこの映画は“戦争映画そのもの”というより、“戦争映画のあり方”について問いかける作品でもあったため、観たいと思いました。