『はだしのゲンはまだ怒っている』を鑑賞して感じたこと

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■ 映画を観るまでのこと

この映画を観たのは今年の1月です。

その後、文章を読み直したりしながら少しずつ精査していました。

実は、昨年12月末から久しぶりに仕事を始めたこともあり、正直なところ疲れ気味で、ブログからしばらく遠ざかっていました。

機械加工の仕事は経験があるとはいえ、フルタイムで続けるとやはり体にきます。

昔は「スピードが遅い」とよく言われたものですが、今は経験があるからか特に何も言われず、どうにか続けられています。

3月になり、契約更新もできたので、まずは一安心です。

そんな状況なので、今後は更新ペースが少しゆっくりになるかもしれませんが、ブログは続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

改めて──

1月17日、シネマテークたかさきで鑑賞しました。

この日は偶然にも舞台挨拶がある日で、館内はとても混んでいました。

私はそのことを知らずに行ったため、映画が終わったあと帰ろうとしてしまい、周囲が残っているのを見て「もしや」と思いとどまりました。

そして、個人的に少し気まずい出来事もありました。

私はいつもPayPayでチケットを購入するのですが、radikoを聴きながらイヤフォンをつけているため、決済時の「PAYPAY」の音が鳴りません。

以前もそのことで指摘されたことがあり、今回も同じ方に当たってしまい、何度も同じことを言われたため、つい「イヤフォンで音を聴いてっからでねんだよ〜」と声を荒げてしまいました。

映画の前に少し感情が揺れた出来事でした。

■ 作品を観て感じたこと

タイトルにある「まだ」という言葉が、観終わったあとも胸に残りました。

私たちが子どもの頃、多くの学校で『はだしのゲン』の上映会が行われていました。

しかし近年は「ふさわしくない」という理由で扱われなくなってきていると聞き、ずっと気になっていました。

広島市の見解では、作中の「鯉を盗む描写」が問題視されたようです。

しかし、戦後の混乱期は食べ物がなく、闇市で高価なものを買うか、盗むしかない時代でした。

映画の証言者の中にも「米を盗んだ」と語る方がいました。

その方は後に教師となり、定年まで勤め上げています。

この映画は、戦争を知らない世代が増える中で、原爆の記憶が薄れていくことへの危機感を強く示しています。

映像は過去を映しているのに、語られる言葉は明らかに“今”に向けられている。

「忘れられること」こそが、二度目の悲劇なのだと突きつけられました。

怒りというより、静かに胸の奥が熱くなる感覚が続きました。

怒りはただの感情ではなく、伝え続けるためのエネルギーなのだと感じました。

■ 批判の背景とその経緯

『はだしのゲン』には、以下のような批判が向けられてきました。

  • 歴史認識の偏り
  • 描写の過激さ
  • 実相が伝わりにくいという指摘 具体的な動きとしては、

  • 松江市教委(2013年)の閲覧制限

  • 広島市教委(2023年)の教材からの削除
  • 足立区議会への撤去陳情

などがあります。

しかし、証言者たちは「現実はもっと酷かった」と語っています。

描写が過激という批判は、むしろ“現実を直視したくない側の都合”にも見えました。

私は、作品そのものよりも、それを“危険視する空気”のほうに強い違和感を覚えました。

■ 特に印象に残った点

  • 証言者の言葉が時代を超えて生々しく響く
  • 「怒り」を扱いながらも、暴力的ではなく静かな強さがある
  • 原爆を“過去の出来事”として扱わない姿勢
  • 若い世代に向けた明確なメッセージ

■ 今の自分にとっての意味

この映画を観て、「語り継ぐ」という行為は特別な人だけの役割ではなく、作品を観た一人ひとりが担うものだと感じました。

完璧な文章でなくてもいい。

感じたことをそのまま残すだけで、それは“記憶をつなぐ行為”になるのだと思います。

■ 事実を知るということ

この映画が秀逸だと思ったのは、日本が原爆の被害者であるだけでなく、アジア諸国を植民地化した加害者でもあった事実をきちんと扱っていた点です。

アメリカでは原爆投下が「戦争を終わらせた手段」として語られ、その後の教科書にはほとんど載っていないと言われています。

日本でも、アジアへの加害の歴史を詳しく学んだ記憶は多くありません。

どの国も、都合の悪い部分は隠したがる──その現実を改めて考えさせられました。

■ 舞台挨拶で感じたこと

舞台挨拶では、後藤寿一氏の見解にも触れられました。

後藤氏は『はだしのゲン』を「特定の歴史解釈に基づく」「手品のような作品」と批判しています。

しかし、監督は「中国や韓国を植民地化した事実を受け入れられない人がいる」と語っていました。

私自身も、後藤氏の認識には少しズレを感じました。

■ まとめ

『はだしのゲンはまだ怒っている』は、怒りをテーマにしながらも、その奥にある“生きてほしい”という願いが強く伝わってくる作品でした。

言葉にしづらい映画ですが、だからこそ、少しでも書き残しておきたいと思いました。

実は私は戦争映画がとても苦手です。

特に夏になると必ず放送される『火垂るの墓』は、妹が亡くなる場面を何度観ても胸が締めつけられるように苦しくなります。

ただ、今回のこの映画は“戦争映画そのもの”というより、“戦争映画のあり方”について問いかける作品でもあったため、観たいと思いました。

映画『ブルーボーイ事件』─個人の身体は誰のものか

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作品情報

  • 上映期間: 12月5日(金)~1月15日(木)
  • 監督: 飯塚花笑
  • 出演: 中川未悠、前原滉、中村中、イズミ・セクシー、真田怜臣、六川裕史、泰平、渋川清彦、井上肇、安藤聖、岩谷健司、梅沢昌代、山中崇、安井順平、錦戸亮
  • 上映時間: 106分
  • 製作: 2025年/日本
  • 配給: 日活、KDDI

あらすじ

高度経済成長期の日本で実際に起きた「ブルーボーイ事件」を題材に、性別適合手術の違法性を問う裁判に関わった人々の姿を描いた社会派ドラマ。

1965年、東京はオリンピック景気に沸いていた。国際化に伴い売春の取り締まりが強化される中、性別適合手術を受けた「ブルーボーイ」と呼ばれる人々が存在していた。戸籍は男性のまま女性として売春をする彼女たちは、売春防止法では摘発対象にならなかった。

警察は、生殖を不能にする手術が「優生保護法」に違反するとして、ブルーボーイたちに手術を施した医師・赤城を逮捕し、裁判にかけた。

一方、東京の喫茶店で働くサチは、恋人にプロポーズされ幸せの絶頂にいた。ある日、赤城の弁護を担当する弁護士の狩野が、サチのもとを訪れる。実はサチには、赤城による性別適合手術を受けた過去があった。サチは狩野から、赤城の裁判に証人として出廷してほしいと依頼される。

主人公・サチ役のキャスティングにあたってはトランスジェンダー女性を集めたオーディションを実施。ドキュメンタリー映画「女になる」に出演経験はあるが演技は初挑戦の中川未悠を主演に抜擢した。サチのかつての同僚たちをドラァグクイーンのイズミ・セクシーとシンガーソングライター・俳優の中村中、弁護士・狩野を錦戸亮が演じた。

監督は「フタリノセカイ」などトランスジェンダー男性というアイデンティティを反映させた作風で国内外から注目を集める飯塚花笑。


この映画が問いかけるもの

12月20日に観たこの映画は、性同一性障害で性に対する違和感に苦しむ人たちの物語でした。
ブルーボーイたちに手術を施した医師・赤城は「優生保護法」違反として逮捕され、何年にもわたり裁判で時間を費やすことになります。

ここで重要なのは、本人が望み、医師がそれに応えたという事実です。

誰の権利も侵害していないにもかかわらず、国家(法)が「勝手に身体を加工した」と医師を罰したのです。
これは「個人の体は国家のもの」という当時の優生思想的な空気感そのものです。

社会が「普通」や「健全」と定義したものから外れる人を「管理」し、「コスト」を抑え、「繁殖(次世代への継承)」を阻むという一貫した冷酷さがそこにあります。

優生保護法とは何だったのか

優生保護法は、1948年から1996年まで日本に存在した法律で、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを目的とし、障害者や特定の疾患を持つ方々に、本人の同意なしに強制不妊手術(優生手術)や中絶を認めていました。

私がこの優生保護法に出会ったのは、10年前か15年前に爆笑問題の番組、確か『探検バクモン』でハンセン病患者に会いに行く企画を見た時に遡ります。

もしかしたら、この記事を読んでいる人の中にも覚えている人は多くいるかもしれません。

その時、アシスタントのサヘル・ローズさんが、ハンセン病患者の夫婦が本人の同意なしに強制不妊手術されたことに言及し、涙していた姿を今でも思い出します。

それだけ過酷な内容だったのだと、今でも強く認識しています。

サヘル・ローズさんはイラク戦争で家族を失い、孤児院を経て養母と来日するという壮絶な過去を持つ方です。

その彼女が、自身の経験ですら比較にならないと感じるほどに心を揺さぶられたハンセン病患者の方々の体験談は、まさに「人間の尊厳を根こそぎ奪う」ような過酷なものだったに違いありません。

優生保護法については、このブルーボーイ事件における性同一性障害の問題だけでなく、ハンセン病患者への強制不妊手術、障害者の無給問題など、多くの深刻な要素を含んでいます。

そして今もなお、日本社会に深く根付いている部分があります。

この点については、別の記事で改めて深く掘り下げたいと考えています。


映画の中で示された日本国憲法

この映画では、優生保護法と並んで、日本国憲法13条と24条が上映中に明示的に示されていました。

通常の映画レビューとは異なる視点から、この作品が提起する憲法的な問題について考えてみたいと思います。

日本国憲法第13条─個人の尊重と幸福追求権

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」

この条文は、個人の尊重と幸福追求権(自己決定権など)を保障し、基本的人権の基礎となる極めて重要な条文です。

全体主義を否定し、個人の尊厳を最優先する日本国憲法の根幹をなし、プライバシー権やライフスタイルに関する決定権など、多様な権利の根拠となっています。

条文のポイント

  • 個人の尊重: すべての国民は、一人の人間として尊重されるべきであるという原則
  • 生命、自由及び幸福追求権: 生命、自由、そして幸福を追求する権利は、国政のあらゆる場面で最大限尊重されるべき
  • 公共の福祉: これらの権利は無制限ではなく、他の個人の権利や公共の利益と調和させる必要がある

重要性

  • 憲法全体の基本原則である「基本的人権の尊重」の基礎であり、他の多くの人権規定の根拠となります
  • 自分の人生をどう生きるか(性、家族のあり方、ライフスタイルなど)を自らの意思で決定する「自己決定権」を保障する条文として解釈されています
  • 個人の幸福を国家や集団の都合より優先する、個人主義の宣言です

この条文は、第14条(法の下の平等)や第24条(家族生活における個人の尊厳)と並び、日本国憲法における「個人の尊厳」を支える柱となっています。

日本国憲法第24条─婚姻と家族における個人の尊厳

「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」

この条文は、旧来の「家制度」を否定し、男女平等と個人の自由な婚姻・家族形成を保障するもので、同性婚の議論など現代の家族のあり方にも深く関わる重要な条文です。

条文のポイント

  • 婚姻の成立: 夫と妻の合意だけで成立し、戸主の同意などは不要
  • 夫婦の平等: 夫婦は同等の権利を持ち、協力して家庭を維持する義務がある
  • 両性の本質的平等: 性別による役割の押し付けを否定し、男女が対等に生きることを意味する
  • 立法への指針: 財産権、相続、離婚など家族関係に関する法律は、個人の尊厳と両性の平等に立脚して作られなければならない

制定の背景 戦前の「家制度」では戸主(家長)に強い権限があり、個人の自由が抑圧されていました。これを廃止し、「個人の自由と平等」を家族生活の基本原則として確立するために制定されました。「両性の本質的平等」という言葉は、性別に関わらず誰もが自由に生きる権利を保障する、先進的な理念として評価されています。

現代における解釈(同性婚との関係など) 近年では、「両性」が男女のみを指すのか、「両性の合意」が同性間の婚姻を排除するのかが議論されています。「同性婚を禁止する」とは明記されていないため、同性婚を認めるべきだという意見や、認めないことは憲法24条2項の「個人の尊厳」に反するという見解もあります。札幌高裁では、24条1項が「人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻を定める趣旨を含み、同性間の婚姻についても保障している」との判断が示されたこともあります。

近年の論点

  • 夫婦別姓: 婚姻後にどちらかの姓を名乗る強制が「個人の尊厳」や「平等」に反するかどうか
  • 同性婚: 第1項の「両性」という表現が、同性婚を禁止しているのか、あるいは「当事者の合意があれば自由」として認めるべきものなのか

ブルーボーイ事件が残したもの

映画の中で描かれた裁判は、医師の有罪という結果に終わりました。

そしてこの事件をきっかけに、日本における性別適合手術は長らく「違法」という認識が広まり、医療の発展が約30年間停滞することになります。

1990年代後半になってようやく再開されましたが、事件が生んだ医療の空白期間(技術遅れ、人材不足)は今も残っており、現在も海外で手術を受ける人が多いなど、事件の影響は続いています。

この事件が与えた教訓

  • 性別適合手術は、本来の目的(当事者のQOL向上)と、法的な解釈(優生保護法適用など)が大きく乖離していました
  • 社会の無理解や偏見が、医療行為と当事者の人生に与える深刻な影響

曖昧さという武器

日本においては、障害(特に精神障害)や性といったデリケートなテーマについて、社会的な議論や制度的な対応において、慎重な姿勢や曖昧さが残りやすい側面があると感じます。

少しでも都合が悪いと感じる事柄に対しては、曖昧な回答が常套手段であるかのような印象を受けます。
あえて曖昧な表現を用いることで、その場の状況を不明瞭にする。
これは一つの見方に過ぎませんが、日本社会の特徴の一つかもしれません。

映画の終盤で検事が言いました。

「歴史が証明しますよ。」

これは、否定的だった検事が言い放った言葉です。

検事はおそらく、「否定されるでしょうから見ているといいですよ」と考えていたのでしょう。

ところが、今では全く逆の解釈になっているかもしれません。


最後に

日本国憲法第13条は、「すべて国民は、個人として尊重される」と定めています。

この重要な理念が、現実社会のあらゆる場面で本当に十分に実現されているかについては、立ち止まって深く考える必要があるのではないでしょうか。
そして、優生保護法は1996年まで存在していました。

優生思想は今もなお、形を変えて生きています。
たとえば、障害者の労働において:

- 「戦力にならないから賃金を払う必要はない」
- 「体験させてあげている」

こうした言葉は、雇用する側が優位に立つ見下しの構造を示しています。
障害者を「支えられるべき対象」としてのみ捉え、対等に働く労働者として認めない姿勢は、旧法の「社会の負担を減らす」という発想と根底でつながっています。
知らず知らずのうちに、私たちはそれに加担していたかもしれませんし、あるいはその影響を受けていたのかもしれません。

映画『カニバイシュ』鑑賞記――歌い続けるオペラ映画との格闘

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作品情報

  • 監督: マノエル・ド・オリヴェイラ
  • 出演: ルイス・ミゲル・シントラ、レオノール・シルヴェイラ、ディオゴ・ドリア
  • 上映時間: 99分
  • 鑑賞日: 2024年12月6日
  • 鑑賞場所: シネマテークたかさき

予定外の鑑賞

本来は『ブルーボーイ事件』を観る予定でした。

しかし当日は舞台挨拶があり、残念ながら満席だったため観ることができませんでした。


せっかく来たのだから何か観て帰ろうと思い、事前に映画.COMで「ミュージカルなのにホラーで、しかもとても緩い」という評価を見ていた本作を選びました。

劇場は予想以上に混んでおり、評判の高い作品なのではないかと期待が高まりました。


※『ブルーボーイ事件』は後日鑑賞しましたので、別記事で取り上げる予定です。

あらすじ

マルガリーダとアヴェレダ子爵の婚礼の夜。子爵は自らが人間でないことを告白します。それを聞いたマルガリーダは錯乱し、厳粛な雰囲気に満ちた貴族たちの晩餐会は驚愕の事態へと展開していきます。

人間、動物、機械などあらゆる境界を超越し、奇想天外なユーモアが炸裂するオペラ・ブッファ(喜劇的なオペラ)映画の怪作、と紹介されています。

タイトルの意味

『カニバイシュ』は「人食い」を意味します。

英語の「カーニバル」も連想させるタイトルです。

この言葉を聞いて、私はカニバリズムという概念を思い出しました。

数年前にNHKで観た「ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか」という番組で初めて知った言葉です。

番組では、ネアンデルタール人の人食いは宗教的な儀式の一環として行われていたと説明されていました。

単なる食人ではなく儀式であったという点に、当時の私は少しだけ安心したのを覚えています。

もちろん、現代人の感覚からすれば違和感がありますし、同種を食すこと自体、健康上も倫理上も問題があります。

しかし宗教的な儀式を持っていたという事実は、彼らが現代人に近い精神性を持っていた証左なのかもしれません。

では、この映画も人食いの話なのだろうか。そんな疑念を抱きながら鑑賞を始めました。

鑑賞の顛末

結論から言えば、私はこの映画を十分に楽しめませんでした。

本作は終始ミュージカル形式で、登場人物たちが最初から最後まで歌い続けます。

常に歌が流れ、字幕を追い、ウトウトし、やばいと思って目を覚まし、また字幕を追い、またウトウト -この繰り返しでした。これでは「観た」うちに入らないでしょう。


ただ、印象的なシーンがありました。

子爵が自らを人造人間だと告白し、劇中で手足を外してしまう場面です。

当初「人食い」というタイトルから想像していた内容とはまったく異なる展開でした。

この告白に衝撃を受けたマルガリーダは、その場で飛び降り命を落とします。

それにショックを受けた子爵は、暖炉に飛び込んでしまいます。

これらの展開は確かに衝撃的でした。

しかし、最後まで「この映画は何が言いたいのか」という疑問は残り続けました。

正直な感想

面白かったかと聞かれれば、正直に答えるなら「面白くなかった」です。

楽しめたかと聞かれれば「楽しめなかった」です。

むしろつまらなかった、と言わざるを得ません。


名作と言われるにはそれなりの理由があるのでしょう。

ただ私には、敷居が高かったのかもしれません。


そもそも、ミュージカルが好きかと聞かれると、それはちょっとないというのが私の率直な回答です。

これは完全に私の好みの問題だと思います。


ミュージカルやオペラ・ブッファという形式に親しんでいる方には、また違った楽しみ方ができるのかもしれません。

反省点

この記事を書くのに時間がかかったのは、映画自体があまり楽しめなかったこともありますが、それ以上に言葉が見つからなかったからです。

普段、私は比較的幅広く映画を観ているつもりですが、すべてに対して完璧な鑑賞記を書けるわけではありません。

今回のように時間をかけても、質の低い記事になってしまうこともあります。

もう少し下調べをしてから鑑賞すべきでしたし、入場料も安くはありません。

その点は反省すべきだと感じています。

余談: シネマテークたかさきについて

シネマテークたかさきには10年以上通っています。私にとって最も多く映画を観ている映画館かもしれません。


ただ、最近少しだけ気になっていることがあります。

この映画館は当初、一日に3本ほどしか上映していませんでした。

その後、二館に増えて一日5本ほどになりました。

当時は同じ映画を一日に3〜4回、時間を変えて上映していたので、都合に合わせて選ぶことができました。

しかし最近は、一日に異なる映画を10本ほど上映しています。

一つの映画の上映回数が減り、一日一回しか上映しないことも多くなりました。

そのため、以前に比べて見逃してしまう映画が増えた気がします。

観たい時間に観られないことが増えたので、少しだけ愚痴を言わせていただきました。

改善していただけると嬉しいです。


※鑑賞日は12月6日で、上映期間は12月5日〜11日だったため、この記事執筆時点では既に上映が終了している可能性が高いです。

イオン街に思うこと、そしてTOKYOタクシー鑑賞記



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作品情報

公開日: 2025年11月21日

上映時間: 103分

配給: 松竹

監督: 山田洋次

出演: 倍賞千恵子/木村拓哉/蒼井優/迫田孝也/優香/中島瑠菜/神野三鈴/イ・ジュニョン/マキタスポーツ/北山雅康/木村優来/小林稔侍/笹野高史 ほか

ストーリー

毎日休みなく働いているタクシー運転手の宇佐美浩二(木村拓哉)。娘の入学金や車検代、家の更新料など次々にのしかかる現実に頭を悩ませていた。そんなある日、浩二のもとに85歳のマダム・高野すみれ(倍賞千恵子)を東京・柴又から神奈川の葉山にある高齢者施設まで送るという依頼が舞い込む。最初は互いに無愛想だった二人だが、次第に心を許し始めたすみれは「東京の見納めに、いくつか寄ってみたいところがあるの」と浩二に寄り道を依頼する。東京のさまざまな場所を巡りながら、すみれは自らの壮絶な過去を語り始める。たった1日の旅が、やがて二人の心を、そして人生を大きく動かしていくことになる。


イオン街について

11月29日、イオンシネマ高崎で鑑賞しました。

正直に言うと、映画を観るためにイオンを利用するのは毎回考えさせられます。

本来、このような言及は必要ないのかもしれませんが、毎度気になってしまうため、まずこの点について書かせていただきます。

何より、混雑が半端ないのです。

前回イオンシネマで鑑賞した際にも触れましたが、群馬町のイオンは土日祝日になると駐車場の混み具合が尋常ではありません。

実際、群馬町の人口のほぼ7割がこのイオン街で過ごすという話もあるほどです。

出遅れて

実は当日、8時半頃の回を観るつもりでしたが、半分寝ぼけていて気づけば8時近くまで自宅にいたため、確実に間に合わず失敗してしまいました。

次の回が11時なので、10時前にはイオンに到着したいというのが次の目標です。

9時20分頃に出発し、9時50分に到着しましたが、すでにこの混みようです。

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それでもさすがに10時前だったので、空きを求めて10分から20分も彷徨わずに済んだのは良かった点です。

前回は8時頃開始の映画を観たため駐車場は空いていましたが、10時に近い時間帯はそうもいかないようです。

とはいえ、11時以降になると駐車場を10分から30分は彷徨い、空いた場所を見つけ次第すかさず停めないと次々と埋まってしまいます。

ですから、11時や12時開始の上映でも10時前に来るのは得策かもしれません。

イオン街の優れた点は、ソファタイプの椅子があちこちに配置されていることです。

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他の百貨店と違い、そこで本を読んだり飲み物を飲んだりして、時間を持て余すことなく過ごせるのは素晴らしいと思います。


鑑賞して

さて、今回の映画は寅さんシリーズの山田洋次監督、さくら役の倍賞千恵子さんが主役を務めます。

そしてタクシー運転手役に木村拓哉。

2022年製作のフランス映画「パリタクシー」を原作に、日本版として映画化された「TOKYOタクシー」。

東京柴又から葉山の高齢者施設までの道のりを描いたロードムービーです。

一日のロードムービーさながらの内容で、筋は十分に楽しめました。

最初はぎこちなく他人行儀な印象でしたが、最後の方には親しみすら覚える雰囲気になっていました。

タクシー運転手の宇佐美は、娘の高校入学金や授業料にヤキモキし、どうにかならないものかと悩んでいます。

一方、すみれさん(倍賞千恵子)は過去の話をし、行きつ戻りつする展開でした。

時代背景もあり、父親が東京大空襲で亡くなったこと、好きだった人のこと、犯罪で懲役刑を受けた暗い過去など。

改めて、人には人の歴史があるのだと感じさせられました。

そう考えると、薄っぺらい人生よりも、私自身の転職人生、障害者としての人生、無職期間の長さなど、人には言えないと思っていたことも、他人からは興味深く感じられるのかもしれないと思いました。

レビューでは「すみれさんの人生があまりに極端すぎて入り込めない」「キムタクが好きではない」といった賛否両論がありましたが、私なりには面白い映画だと感じました。

結局、一方ではどん底に落ち、その後「これ以上最悪なことはない」という思いでの渡米だったのかなと思うと、筋が通っているように感じました。

一部ネタバレになりますが、何がどん底で何が良かったのかは、実際に観て楽しんでいただければと思います。

明石家さんま

そして、この映画に関連してもう一つ。

明石家さんまがどこかで少し出演していたらしいです。

声だけだったのでしょうか、全く気づきませんでした。

ただ、映画を観ている最中に偶然、明石家さんまのことを考えていたんですよね。

たまたまYouTubeのショート動画で見たのですが、血の繋がらない息子さんが明石家さんまから大切に育ててもらったことへの感謝とプレゼントについて語る内容があったのです。

実は、明石家さんま自身が子供の頃に父親が別の女性と結婚し、随分辛く寂しい人生を送ってきたそうで、「自分はそんなふうにはしたくなかった」と本人は語っているそうです。

劇中では、大竹しのぶも宇佐美のお姉さん役で声のみの出演をされていました。

鑑賞中に明石家さんまを思い出した理由は、すみれさんには息子さんがいたのですが連れ子だったため、結婚相手はDVの激しい人だったことと重なったからだと、今は思っています。

最終的に感じたことは、昭和の雰囲気の古臭さを感じつつも、そこに自分が生きた時代が思い出されて良かったということです。

懐かしさが何故かあるんですよね。

あの時代を生きた一人として、そう思える部分があるのかもしれません。

帰宅してからHuluで確認したら、原作の「パリタクシー」を見つけたので、改めて観てみようかと思います。


数年前から続く問題について

ジャニー喜多川氏に関わる問題

この項は、故ジャニー喜多川氏をめぐる問題について、詳細を追うよりも氏の逝去後に持ち上がったフジテレビ・中居氏の問題など、今後の動向を注視する目的で、Wikipediaの情報から事実を抜粋して記述しています。

ジャニー喜多川氏は、日本のエンターテインメント界に多大な影響を与えた功績を持つ一方で、深刻な人権侵害という負の側面も持つ人物です。

1999年から2000年にかけて『週刊文春』が報じた性的虐待疑惑に関する民事訴訟では、東京高裁が喜多川氏の性的虐待の事実を認定し、2004年に最高裁で判決が確定しました。しかし、この司法判断は、メディアの大部分がジャニーズ事務所に配慮して報道を控えたため、社会的な問題として広く認識されることはありませんでした。
ジャニー喜多川氏は2019年7月9日に逝去しました。彼は世間に顔を知られることを極度に嫌い、ジャニーズ事務所が日本のメディアに対して非常に強い影響力を持っていたため、メディアは彼の機嫌を損ねることを恐れ、顔写真の使用を自粛していたと指摘されています。

この想像を超える影響力により、彼はすべてをコントロールし、自身の印象さえも操作することが可能でした。彼の意に沿わない写真や記事を掲載した者は仕事を失うという話が、日本国内で広く知られていました。

事実認定と謝罪が行われ、外部専門家による「再発防止特別チーム」の調査報告書は性加害の事実を認定しました。これを受け、ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)は性加害の事実を認め、謝罪しました。

ジャニー喜多川氏の逝去後

性加害問題、フジテレビ・中居氏の問題、『鉄腕DASH』の問題など、一連の出来事が相次ぎました。

性加害問題とフジテレビ・中居氏の問題

フジテレビでは、元女性アナウンサーへの性加害疑惑が発端となり、ガバナンス不備や危機対応の遅れが社会的な批判を招く不祥事が発生しました。

中居氏については、2023年に女性に対する性的加害トラブルを起こし、9000万円の解決金を支払ったと報じられています。

港浩一社長ら経営陣による定例会見での説明は不十分であり、動画配信の禁止など情報制限や隠蔽と受け取られる対応も批判の要因となりました。

『鉄腕DASH』の問題

最近の主な出来事として、国分太一氏の番組降板(過去のコンプライアンス違反による)、TOKIOの解散、Aぇ!group・草間リチャード敬太氏の逮捕がありました。

これらの出来事は、故ジャニー喜多川氏が持っていた影響力の大きさを改めて感じさせます。

今回の映画に出演した木村拓哉さんは、一連の出来事の中で、彼を含めた数名が最も「まとも」な存在だったという印象を抱かせました。


今回の映画鑑賞は11月29日でしたが、他の内容を考えていたため記事化が少し遅くなりました。

余計かとも思いましたが、おそらく今後記事にすることはないと思い、ここまでの経緯と最近立て続けに起きたことを改めて振り返るため、この機会に記事にしてみました。

才能を持たずに音楽を作る——ミシェル・ルグランの映画を観て


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上映期間: 10月31日(金)~11月20日(木)
監督: デヴィッド・ヘルツォーク・デシテス
出演: ミシェル・ルグラン、アニエス・ヴァルダ、ジャック・ドゥミ、カトリーヌ・ドヌーヴ ほか
上映時間: 109分

下らない質問から始まる

「バッハが今生きていたら映画音楽をやっていると思いますか?」

ミシェル・ルグランのドキュメンタリー『世界を変えた映画音楽家』は、そんな問いかけから始まりました。

正直、少し下らない質問だと思ってしまいました。

あまりにも仮定が大きすぎます。

バッハという巨人を現代に召喚して、映画音楽という枠に収めようとする乱暴さに、最初は戸惑いすら覚えてしまいました。

改めて、才能が羨ましいと思います。

ミシェル・ルグランがやってきたこと、残した功績を見ていると、それだけのものがそこにあります。

アカデミー賞を3度受賞し、『シェルブールの雨傘』で映画音楽の可能性を革新し、マイルス・デイヴィスやバーブラ・ストライサンドといった伝説的なアーティストと共演を重ねています。

劇中で印象に残ったことがあります。

ルグランの父親もまた音楽家だったということです。

おそらく功績もあったのでしょう。

けれど本人に父親のことを尋ねても、彼は他の人々-今までに携わった音楽家や監督たちの名前を多く挙げるばかりです。

その語り口から察するに、いい思い出はないんだろうなと感じました。

才能を持って生まれても、その人生が平坦だとは限りません。

むしろ才能があるからこそ、背負わされるものがあるのかもしれません。

ブログが疎かになっていたのは

今回、この映画を鑑賞して私が感じたのは、実はSUNOで制作した楽曲をDistroKidで配信するようになったことを、何とかブログとして発信したいという思いでした。

ミシェル・ルグランとSUNOの配信をどのように繋げれば良いのか。

映画の内容とリンクする部分があり、うまくまとめられれば良いなと感じていましたが、悩んでいるうちに時が経ってしまいました。

改めて、ここで経緯を含めつつ記事にしようと思います。

2025年夏、崩壊の連鎖

振り返ると、私の2025年は7月から何かが壊れ始めていました。

外付けハードディスクがクラッシュ、その影響でパソコンが故障、更にスマホは水没して動かなくなり、追い打ちをかけるように炊飯器まで壊れました。

まるでドミノ倒しのように、身の回りのものが次々と機能を失っていきました。

去年から無職だった私が、久しぶりに仕事を始めたのもその頃で、7月から8月と短い契約期間でした。

新しい環境に入ったことをきっかけに、いろいろなことが動き出したのか、それとも崩れ出したのか。

7月以降、騙し騙し使っていたパソコンのCPUが70〜80%を行き来し、ブラウザを開くたびに突然落ちることが多くなったため、とうとう新しいパソコンを買いました。

開いてみると電源コードがなく、無線LANのつもりがなぜか有線でした。

勘違いしたのか、説明が不十分だったのか。

プリンターは純正インクじゃないと文句を言って印刷を拒否し始めたので、結局純正ではなくても文句を言わないプリンターに買い換えました。

SUNOには去年から触れていて、今年の2月か3月にサブスクに入りました。

その頃は、自分でCDに気に入った曲を焼けたらいいなくらいに思っていました。

ちまちまと楽曲を作っては、保存していました。

でも外付けハードディスクのクラッシュで、楽曲を含め書類関係、多くの画像関係、いろいろと集めていた全てをこの時に失ったことで、心が折れてしまいました。

サブスク料金を払いながら、何も作れない日々が続き、相当無駄だなと9月くらいまでずっと思っていました。

9月、音楽配信という選択

8月いっぱいで契約が終了し、再び無職になりました。

短い夏の仕事が終わりました。

「このままではいけない」-心の底で何かが動いた瞬間でした。

言葉にするほど明確ではなかったけれど、何かを変えなければという焦燥がありました。

そんなとき、DistroKidが30%割引のメールを送ってきました。

SUNOを収益化できないか、いろいろと模索していく中で見つけた配信サービスです。

AIに聞いてみました。「これ、買いかな?」「買いだよ」と返ってきました。

そこから、私の音楽配信が始まりました。

SUNOでガチャを回すように曲を生成し、Audacityで切ったり繋いだり、編集を重ねる日々です。

ガチャ要素が多いから、結構切ったり、足してみたり、いろいろと工夫はしています。

フェードインやフェードアウト、コンプレッサー、ノーマライズ——でもうまく繋げられないことも多くあり、いろいろと悩みぬきます。

音楽理論があるわけでも才能があるわけでもなく、ただ、何かを作っています。

そのために最近、ブログの投稿がおろそかになってしまいました。

音楽を作ることと、文章を書くこと。

どちらも創作だけれど、時間とエネルギーは有限です。

特にうまく繋げられない曲と格闘していると、言葉を紡ぐ余裕がなくなっていました。

そんな時に今回の映画に出会い、鑑賞したのは11月15日のことでした。

ミシェル・ルグランのドキュメンタリーを観て、ブログにアップしたいと思いながら、気付けば一週間も過ぎてしまいました。

どう書いていいかわからなかったのと、感想があまり出てこなくて悩んでいました。

才能への羨望と、自分が音楽を作っているという事実の二つをどう繋げればいいのか。

人生を振り返ると

改めて思います。

私は去年の5月から今年の6月いっぱいまで無職でした。

この1年余り、多くの仕事を受けながら落とされる日々が続きました。

派遣会社からの連絡で受けたところ、当日のうちに採用に至りましたが、努力を重ねたつもりでも2ヶ月で契約終了となりました。

考えてみると、仕事は転職ばかりです。

30年近く前は障害者ではないと思っていましたし、その後20年近くはそう思っていました。

ただ、ハローワークの職員に指摘されたことを契機に、支援センターで検査を受けることになり、最終的に判明しました。

今でも、私自身は普通だと思って生活していますし、一般の会社ばかり受けています。

確かに生きづらさは感じるので、納得はしています。

だからこそ、今回のような楽曲の配信は私からしてみると「こんな方法もある」と思えました。

挑戦する意味があると思ったんです。

ブログにしても、昔とは生き方もいろいろになり、選択肢が増えたことは私にはありがたいことです。

ただ稼げるからやってみたという安易な考えではなく、切実な思いで戦い始めた -そんな思いが強いのかもしれません。

プロの矜持と、私の立ち位置

先日、NOTEで音楽業界の人がAI音楽制作について書いているのを読みました。

褒められた内容ではありませんでした。

プロにはプロとしての意地があるようなことを言っていて、そうなんだよなと思いました。

音楽理論なしでは質の高い作品は生まれない——そういう考えがあることは、わかります。

ミシェル・ルグランを始め、マイルス・デイヴィスやバーブラ・ストライサンド、バッハやベートーヴェン、モーツァルトといった唯一無二の作曲家たち。

楽器を演奏する人、唯一無二の才能を持つ多くの人 -彼らは生き残っていくでしょう。

つまり、それぞれの役割で棲み分けがなされるようになるのではないでしょうか。

才能がないということ

ミシェル・ルグランは才能を持って生まれ、私は持たずに生まれました。

彼は幼い頃から音楽に囲まれ、パリ音楽院で学び、20代でジャズピアニストとして頭角を現し、やがて映画音楽という舞台で世界を変えました。

父親の影を抱えながらも、あるいはその影があったからこそ、彼は音楽史に名を刻んだのでしょう。

私はSUNOでガチャを回し、Audacityで切り貼りし、DistroKidにアップロードします。

才能の代わりに、ツールがあります。

音楽理論の代わりに、試行錯誤があります。

天才の直感の代わりに、偶然性があります。

偶然性の中から、素晴らしいものができることも多々あります。

もちろん、生成されたものの中にはフェードアウトしていない、突如切れてしまうものも多く、そういったものの加工はどうしても必要になってきます。

ガチャ要素が強いと、せっかく素晴らしい楽曲でも間に途切れ途切れガチャが入ることもあります。

それでも私は、ある方法で8割は解消することを知りました。

YouTubeで動画編集ソフトFilmoraの編集についての動画を見ていた時に、突如切れた時の対処法を聞いたことがあり、もしかしてあの方法では -と思いついたんです。

2割はうまくいきませんが、それでも8割は繋げられます。

それは劣っているのでしょうか?

そうかもしれません。

でも、それでも音楽を作ることは選べます。

映画の中で、ルグランは死の直前までブルーノート東京での公演に情熱を燃やしていました。

日本を愛し、『ベルサイユのばら』の音楽を手掛け、「ディ・グ・ディン・ディン」という曲が今もCMで流れ続けています。

彼の音楽は、国境を越え、時代を超えて生き続けています。

私の曲は、どこまで届くでしょう。

SpotifyやApple Musicに並んだ楽曲たちは、誰かの耳に届くでしょうか。

それでも、TikTokで動画に使っている人や、InstagramやSpotifyの検索で私の名前を入れると配信されているんだなと実感します。

今は、アカペラだったり、ミニマルテクノ、スピリチュアルテクノ -心が震えます。

せっかく届けるのだから、少しでも届いて反応があることがとても良いです。

残念ながら、今DistroKidでは配信の結果までは分からないので、もう一段階上げなければなりません。

きっと、1月くらいには結果が分かるのではないでしょうか。

作り続けることは選べるのですから。

継ぎ目だらけでも

うまく繋げられない曲が時々あります。

SUNOで生成された断片が、どうしても自然に流れていかないとモヤモヤし、試行錯誤して編集を重ねても、継ぎ目が目立ってしまいます。

音楽理論があれば、もっとスムーズに繋げられるのかもしれません。

才能があれば、そもそも継ぎ目なんて生まれないのかもしれません。

でも、その「繋がらなさ」が、今の私なんだと思います。

ミシェル・ルグランのドキュメンタリーを観て、感想がうまく出てこなかったのも同じです。

映画と自分の生活が、どうしても自然に繋がっていきません。

才能への憧憬と、SUNOでの試行錯誤。

映画音楽の巨匠と、無職の私。

その断絶は、どう埋めればいいんでしょう。

でも今、この文章を書いています。

継ぎ目だらけでも言葉を繋いでいます。

完璧な感想ではないかもしれません。

骨太な評論でもないかもしれません。

それでも、ミシェル・ルグランの映画と、私の2025年の夏と秋が、少しずつ繋がり始めています。

才能を持たずに音楽を作り、
感想がうまく出ないまま文章を書き、
それでも、作り続けます。

障害があっても、そんな人生だから。

あらがいながらでも、生き抜いて見せます。

その選択だけは、今日も私の手の中にあります。

盤上の向日葵を観て、一番に感じたことは…

Photo Scape X

【公開日】 2025年10月31日
【上映時間】 122分
【配給】 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/松竹
【監督】 熊澤尚人
【出演】 坂口健太郎/渡辺謙/佐々木蔵之介/土屋太鳳/高杉真宙/音尾琢真/柄本明/渡辺いっけい/尾上右近/木村多江/小日向文世 ほか

【ストーリー】
山中で謎の白骨死体が発見される。事件解明の手掛かりは、遺体とともに発見されたこの世に7組しか現存しない希少な将棋駒。容疑をかけられたのは、突如将棋界に現れ、一躍時の人となっていた天才棋士〈上条桂介〉だった。さらに捜査の過程で、桂介の過去を知る重要人物として、賭け将棋で裏社会に生きた男〈東明重慶〉の存在が浮かび上がる。桂介と東明のあいだに何があったのか?謎に包まれた桂介の生い立ちが明らかになっていく。それは、想像を絶する過酷なものだった......。

早い時間に出発し

11/8イオンシネマ高崎で朝の8:30から鑑賞しました。

以前に来たときには、イオンシネマまでの道のりと駐車場のあまりに酷い混み具合に、正直行きたくないな、と思いつつ向かいましたが、7:30頃はさすがにそこまで混んではいませんでした。

Photo Scape X

映画を観て感じたこと

実は、昔から将棋は好きなので楽しみにして映画を観にいきました。

今回観る前から将棋の世界に対する葛藤の映画なんだろうと勝手に思い込んでいる部分があって、予告の内容とか耳に入ってなかったのかもしれません。

最初はサスペンスではなく将棋界の話と思い込んでいたので、ちょっと肩透かしされた印象ですが、最終的に点と線が重なるように解決していったので、さすがな作りでした。

内容的には、伏線回収がきっちりしていたと思います。

でも、最終的にそれでいいのか、と考えさせられる結末だった気がします。

上条にしても東明にしても、根っこに悲しみを抱えた、似た者同士というのがこの映画で思ったことです。

細かい内容はさておき、生きた時代背景や、関わって来た人たちで人は変わるけれど、根っこには悲しみがあるのだなと感じました。

もちろん、いい方向に転ぶか悪い方向に向かうのも関わってきた人によるんだなと…

最終的な思いは、勝負の世界は厳しいものなんだなってことでした。

この内容については、映画の中の内容というより、私自身が感じていた将棋や囲碁、つまりプロの世界に入るまでの過酷な戦いは、別のスポーツの世界とも通じるように厳しい世界だと改めて感じました。

印象に残ったのは、1970年代初頭には小学生でも新聞配達してる子がいたんだよなぁと少し思い出しました。

当時の小中学生の中にはいた、と思ったし私の時代でも少し下りますが確かに記憶しています。

私は、小学生や中学生で新聞配達は大変だと思っていたので、辛いなぁと当時は感じていました。

学校の先生から新聞配達の話をクラス全員に話していた記憶があり、その当時は当たり前の風景だったのかもしれません。

ちなみに、刑事役で佐々木蔵之介が出ていて、役としてはちょっと古株のあくの強いおっさんって感じだったんですが、他の映画レビューを見た時に物足りないという声もあるようですが、好演していたと思います。

こんな人もいるだろうし、いいのでは。

そういう人たちにはきっとイメージする人がいるんでしょうね。

主人公は坂口健太郎

実は、大きな勘違いをしていまして、主人公を医療ドラマ「医龍」に出演していた坂口憲二さんと混同していました。

印象がこれほど変わるものかと、頭の中には疑問符ばかり浮かべながら観ていました。

最終的に、観終わって映画.comで坂口健太郎さんを確認したところ、やはり映画に出ていた人と同じだと確認しました。

しかし、疑問符が解消されなかったため、医龍に出演されていた人を調べてみたら…

あぁ、そもそも名前が違っていたのですね。

映画とは別件ではありますが

今回は映画の感想を書こうと思っていましたが、作品を観て様々なことを感じたため、映画の内容そのものよりも、そちらの感想を中心に記事にしたいと思います。

特に印象に残ったのは、作中に登場する「真剣師」という存在です。

また、この映画にも「奨励会」というものが登場しますが、こちらは年齢制限があり、定められた期間内にプロになれなければ退会しなければならないという、非常に過酷な世界であると認識しています。

この映画を観て、以前観た「国宝」という作品のことを思い出してしまいました。

「国宝」、歌舞伎といった伝統芸能の世界における、血統や血縁の厳しさによって狭められてしまうことについて、今回の映画で改めて考えさせられました。

あまりにも閉鎖的な世界では、才能があっても排除されてしまうのではないか、これは現代にはそぐわないのではないかと感じていました。

しかし、この映画を観たことをきっかけに、将棋の編入試験や囲碁の「外来(※)」について知ることができました。

このようなことに気づけたことは、ある意味で私にとって収穫であったと感じています。

(※囲碁における「外来」とは、プロ棋士以外の者が参加できる大会などを指します。後述)

奨励会とは?

映画を観て気になって、将棋界について軽く調べてみました。

奨励会とは何なのか?

奨励会の主な年齢制限は、入会は満19歳以下、退会する年齢の最終ラインは満26歳。

満26歳の誕生日までに三段リーグを突破し四段に昇段できなければ退会、勝ち越しを続ければ年齢制限を超えても次期リーグに参加できる救済措置があります。

級位と年齢: 年齢によって異なり、満15歳以下は6級、満19歳の場合は1級から。

編入試験って何?

将棋の編入試験を受ける条件は?

棋士編入試験は奨励会を経ないで棋士になれる制度のことで、受験は一部の女流棋士やアマチュアにも参加資格があります。

将棋界だけではなく、囲碁界も同じようなものです。

編入試験はいつから

将棋の棋士編入試験は昔からあるわけではなく、プロ棋士を志すための奨励会制度が確立されてきたのに並行して制度化されたものです。

現在はアマチュアや女流棋士がプロになるための道として知られていますが、奨励会を経て四段からプロ棋士になるのが一般的なルートです。

  • 奨励会制度との関係: 奨励会を経ずにプロ棋士になれる道として、編入試験が設けられるようになりました。
  • 編入試験の条件: プロ公式戦で一定の成績(勝率6割5分以上)を収めることで受験資格を得られます。
  • 試験内容: 編入試験に合格するためには、5人の奨励会三段と対局し、3勝する必要があります。
  • 最近の動向: 奨励会に在籍した経験のないアマチュアも編入試験に合格できるようになり、将棋の門戸が広がっています。

アマチュアからプロになった将棋棋士とは?

年齢制限や試験不合格で奨励会を退会した後にアマチュアで活躍し、瀬川棋士、今泉棋士、折田棋士、小山棋士の4人は、編入試験を経てプロになりました。

戦前には、花村元司棋士は賭け将棋の「真剣師」という異なる道からプロになった人もいるそうです。

これらの棋士は、一度はプロの道を諦めながらも、強い意志と才能でプロ編入試験を勝ち抜きました。

囲碁の院生制度

囲碁にも将棋の奨励会に似た「院生制度」があります。

この制度は、日本棋院や関西棋院に所属して集中的に訓練を受けるシステムです。

実力に応じてクラス分けされ、成績を上げると昇級し、最終的にプロ(棋士)になる道が開かれます。

プロへの昇格: 院生として一定の成績を収めると、プロ棋士の資格を得ることができます。

そして、囲碁にも将棋の編入試験と同じように外来で採用試験を受ける、女流棋士枠などの制度があります。

将棋の奨励会も厳しいですが、囲碁のプロ採用試験はさらにシビアで、院生は17歳、外来でも22歳という若さでプロの夢を諦めざるを得ません。

これは、才能と努力があっても、定められた時間内に結果を出さなければならないという、血縁とは異なる、まさに時の血筋とも呼ぶべき、残酷な現実です。

囲碁の方が年齢制限が遥かに厳しく、「国宝」のような血筋・伝統とは異なり、時間の制約という別種の厳しさを感じました。

夢の世界でもあるので、ここで夢が断たれるというのは余りに過酷です。

そういったあぶれた人の多くが真剣師になるのではと以前思ったことがありました。

真剣師として生きることしかできなくなったとしても、かつての夢ですから。

真剣師とは?

真剣師(しんけんし)とは、将棋、囲碁、麻雀といった賭け事を生業としている人のことです。

プロ棋士がタイトル戦で賞金を獲得するのとは異なり、真剣師は主に個人的な賭けで生活しています。

詳細

  • 名前の由来: 賭け事のことを「真剣」と呼ぶことに由来します。
  • 主な活動: 賭け将棋や賭け麻雀など、テーブルゲームによる賭博を行います。
  • 将棋と麻雀での呼び名: 将棋の真剣師は「くすぶり」、麻雀の真剣師は「裏プロ」と呼ばれる。
  • 歴史: 1960年代までは、プロに匹敵する実力を持つ真剣師が全国に数十人。
  • 有名な真剣師:
  • 小池重明: 「新宿の殺し屋」と呼ばれた将棋の真剣師。
  • 加賀敬治: 「鬼加賀」と恐れられた大阪の真剣師。

現在の真剣師は…

現代は非常に少なく、公の場に出ることはほとんどありません。

主な理由

  • 法律による規制: 日本では賭博は法律で禁止されている。
  • 社会環境の変化: 取り締まりの厳格化や社会的な目の厳しさにより、ほとんど消滅。
  • 活躍の場の消失: インターネット対局の普及により、対面での賭け事の機会は減少。

お馬鹿なことに

最後の最後、自宅に帰る途中でショッピングセンターに寄りました。

いざ、支払いの段階で「あれ、電子マネーを入れておいた長財布はどこいった」。車に戻って探しまくったけれど見つからず、結局今日1日イオン街にいたので、どこかに落としたのではと思い、自宅に帰ってから早速連絡を入れてみました。

不安な気持ちでイオンシネマに確認してみると、二本目の映画、攻殻機動隊を観た時に落としてしまったことに気付いて一安心。

あまりに間抜けすぎて言葉がでないくらいですが、また10キロ弱戻るのも辛いので、明日伺いますと…

翌日、9時過ぎに家を出て9時半過ぎにはイオンに着いていました。

少し早めだし、その時間は開店前(イオンシネマでは映画はやってます)だったので、のんびり待って入店して自分の手に戻ってきたときには、本当に良かったと思いました。

なぜなら、ここに免許証まで入れていたので。

つまり無免許でイオンまで行ってしまいました。

Photo Scape X

【公開日】 2025年10月31日
【上映時間】 122分
【配給】 ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント/松竹
【監督】 熊澤尚人
【出演】 坂口健太郎/渡辺謙/佐々木蔵之介/土屋太鳳/高杉真宙/音尾琢真/柄本明/渡辺いっけい/尾上右近/木村多江/小日向文世 ほか

【ストーリー】
山中で謎の白骨死体が発見される。事件解明の手掛かりは、遺体とともに発見されたこの世に7組しか現存しない希少な将棋駒。容疑をかけられたのは、突如将棋界に現れ、一躍時の人となっていた天才棋士〈上条桂介〉だった。さらに捜査の過程で、桂介の過去を知る重要人物として、賭け将棋で裏社会に生きた男〈東明重慶〉の存在が浮かび上がる。桂介と東明のあいだに何があったのか?謎に包まれた桂介の生い立ちが明らかになっていく。それは、想像を絶する過酷なものだった......。

早い時間に出発し

11/8イオンシネマ高崎で朝の8:30から鑑賞しました。

以前に来たときには、イオンシネマまでの道のりと駐車場のあまりに酷い混み具合に、正直行きたくないな、と思いつつ向かいましたが、7:30頃はさすがにそこまで混んではいませんでした。

Photo Scape X

映画を観て感じたこと

実は、昔から将棋は好きなので楽しみにして映画を観にいきました。

今回観る前から将棋の世界に対する葛藤の映画なんだろうと勝手に思い込んでいる部分があって、予告の内容とか耳に入ってなかったのかもしれません。

最初はサスペンスではなく将棋界の話と思い込んでいたので、ちょっと肩透かしされた印象ですが、最終的に点と線が重なるように解決していったので、さすがな作りでした。

内容的には、伏線回収がきっちりしていたと思います。

でも、最終的にそれでいいのか、と考えさせられる結末だった気がします。

上条にしても東明にしても、根っこに悲しみを抱えた、似た者同士というのがこの映画で思ったことです。

細かい内容はさておき、生きた時代背景や、関わって来た人たちで人は変わるけれど、根っこには悲しみがあるのだなと感じました。

もちろん、いい方向に転ぶか悪い方向に向かうのも関わってきた人によるんだなと…

最終的な思いは、勝負の世界は厳しいものなんだなってことでした。

この内容については、映画の中の内容というより、私自身が感じていた将棋や囲碁、つまりプロの世界に入るまでの過酷な戦いは、別のスポーツの世界とも通じるように厳しい世界だと改めて感じました。

印象に残ったのは、1970年代初頭には小学生でも新聞配達してる子がいたんだよなぁと少し思い出しました。

当時の小中学生の中にはいた、と思ったし私の時代でも少し下りますが確かに記憶しています。

私は、小学生や中学生で新聞配達は大変だと思っていたので、辛いなぁと当時は感じていました。

学校の先生から新聞配達の話をクラス全員に話していた記憶があり、その当時は当たり前の風景だったのかもしれません。

ちなみに、刑事役で佐々木蔵之介が出ていて、役としてはちょっと古株のあくの強いおっさんって感じだったんですが、他の映画レビューを見た時に物足りないという声もあるようですが、好演していたと思います。

こんな人もいるだろうし、いいのでは。

そういう人たちにはきっとイメージする人がいるんでしょうね。

主人公は坂口健太郎

実は、大きな勘違いをしていまして、主人公を医療ドラマ「医龍」に出演していた坂口憲二さんと混同していました。

印象がこれほど変わるものかと、頭の中には疑問符ばかり浮かべながら観ていました。

最終的に、観終わって映画.comで坂口健太郎さんを確認したところ、やはり映画に出ていた人と同じだと確認しました。

しかし、疑問符が解消されなかったため、医龍に出演されていた人を調べてみたら…

あぁ、そもそも名前が違っていたのですね。

映画とは別件ではありますが

今回は映画の感想を書こうと思っていましたが、作品を観て様々なことを感じたため、映画の内容そのものよりも、そちらの感想を中心に記事にしたいと思います。

特に印象に残ったのは、作中に登場する「真剣師」という存在です。

また、この映画にも「奨励会」というものが登場しますが、こちらは年齢制限があり、定められた期間内にプロになれなければ退会しなければならないという、非常に過酷な世界であると認識しています。

この映画を観て、以前観た「国宝」という作品のことを思い出してしまいました。

「国宝」、歌舞伎といった伝統芸能の世界における、血統や血縁の厳しさによって狭められてしまうことについて、今回の映画で改めて考えさせられました。

あまりにも閉鎖的な世界では、才能があっても排除されてしまうのではないか、これは現代にはそぐわないのではないかと感じていました。

しかし、この映画を観たことをきっかけに、将棋の編入試験や囲碁の「外来(※)」について知ることができました。

このようなことに気づけたことは、ある意味で私にとって収穫であったと感じています。

(※囲碁における「外来」とは、プロ棋士以外の者が参加できる大会などを指します。後述)

奨励会とは?

映画を観て気になって、将棋界について軽く調べてみました。

奨励会とは何なのか?

奨励会の主な年齢制限は、入会は満19歳以下、退会する年齢の最終ラインは満26歳。

満26歳の誕生日までに三段リーグを突破し四段に昇段できなければ退会、勝ち越しを続ければ年齢制限を超えても次期リーグに参加できる救済措置があります。

級位と年齢: 年齢によって異なり、満15歳以下は6級、満19歳の場合は1級から。

編入試験って何?

将棋の編入試験を受ける条件は?

棋士編入試験は奨励会を経ないで棋士になれる制度のことで、受験は一部の女流棋士やアマチュアにも参加資格があります。

将棋界だけではなく、囲碁界も同じようなものです。

編入試験はいつから

将棋の棋士編入試験は昔からあるわけではなく、プロ棋士を志すための奨励会制度が確立されてきたのに並行して制度化されたものです。

現在はアマチュアや女流棋士がプロになるための道として知られていますが、奨励会を経て四段からプロ棋士になるのが一般的なルートです。

  • 奨励会制度との関係: 奨励会を経ずにプロ棋士になれる道として、編入試験が設けられるようになりました。
  • 編入試験の条件: プロ公式戦で一定の成績(勝率6割5分以上)を収めることで受験資格を得られます。
  • 試験内容: 編入試験に合格するためには、5人の奨励会三段と対局し、3勝する必要があります。
  • 最近の動向: 奨励会に在籍した経験のないアマチュアも編入試験に合格できるようになり、将棋の門戸が広がっています。

アマチュアからプロになった将棋棋士とは?

年齢制限や試験不合格で奨励会を退会した後にアマチュアで活躍し、瀬川棋士、今泉棋士、折田棋士、小山棋士の4人は、編入試験を経てプロになりました。

戦前には、花村元司棋士は賭け将棋の「真剣師」という異なる道からプロになった人もいるそうです。

これらの棋士は、一度はプロの道を諦めながらも、強い意志と才能でプロ編入試験を勝ち抜きました。

囲碁の院生制度

囲碁にも将棋の奨励会に似た「院生制度」があります。

この制度は、日本棋院や関西棋院に所属して集中的に訓練を受けるシステムです。

実力に応じてクラス分けされ、成績を上げると昇級し、最終的にプロ(棋士)になる道が開かれます。

プロへの昇格: 院生として一定の成績を収めると、プロ棋士の資格を得ることができます。

そして、囲碁にも将棋の編入試験と同じように外来で採用試験を受ける、女流棋士枠などの制度があります。

将棋の奨励会も厳しいですが、囲碁のプロ採用試験はさらにシビアで、院生は17歳、外来でも22歳という若さでプロの夢を諦めざるを得ません。

これは、才能と努力があっても、定められた時間内に結果を出さなければならないという、血縁とは異なる、まさに『時の血筋』とも呼ぶべき、残酷な現実です。

囲碁の方が年齢制限が遥かに厳しく、「国宝」のような血筋・伝統とは異なり、時間の制約という別種の厳しさを感じました。

夢の世界でもあるので、ここで夢が断たれるというのは余りに過酷です。

そういったあぶれた人の多くが真剣師になるのではと以前思ったことがありました。

真剣師として生きることしかできなくなったとしても、かつての夢ですから。

真剣師とは?

真剣師(しんけんし)とは、将棋、囲碁、麻雀といった賭け事を生業としている人のことです。

プロ棋士がタイトル戦で賞金を獲得するのとは異なり、真剣師は主に個人的な賭けで生活しています。

詳細

  • 名前の由来: 賭け事のことを「真剣」と呼ぶことに由来します。
  • 主な活動: 賭け将棋や賭け麻雀など、テーブルゲームによる賭博を行います。
  • 将棋と麻雀での呼び名: 将棋の真剣師は「くすぶり」、麻雀の真剣師は「裏プロ」と呼ばれる。
  • 歴史: 1960年代までは、プロに匹敵する実力を持つ真剣師が全国に数十人。
  • 有名な真剣師:
  • 小池重明: 「新宿の殺し屋」と呼ばれた将棋の真剣師。
  • 加賀敬治: 「鬼加賀」と恐れられた大阪の真剣師。

現在の真剣師は…

現代は非常に少なく、公の場に出ることはほとんどありません。

主な理由

  • 法律による規制: 日本では賭博は法律で禁止されている。
  • 社会環境の変化: 取り締まりの厳格化や社会的な目の厳しさにより、ほとんど消滅。
  • 活躍の場の消失: インターネット対局の普及により、対面での賭け事の機会は減少。

お馬鹿なことに

最後の最後、自宅に帰る途中でショッピングセンターに寄りました。

いざ、支払いの段階で「あれ、電子マネーを入れておいた長財布はどこいった」。車に戻って探しまくったけれど見つからず、結局今日1日イオン街にいたので、どこかに落としたのではと思い、自宅に帰ってから早速連絡を入れてみました。

不安な気持ちでイオンシネマに確認してみると、二本目の映画、攻殻機動隊を観た時に落としてしまったことに気付いて一安心。

あまりに間抜けすぎて言葉がでないくらいですが、また10キロ弱戻るのも辛いので、明日伺いますと…

翌日、9時過ぎに家を出て9時半過ぎにはイオンに着いていました。

少し早めだし、その時間は開店前(イオンシネマでは映画はやってます)だったので、のんびり待って入店して自分の手に戻ってきたときには、本当に良かったと思いました。

なぜなら、ここに免許証まで入れていたので。

つまり無免許でイオンまで行ってしまいました。

この広告、あなたは詐欺だと気づけますか? ー AIで見抜く方法を実践してみた

フォトスケープ

まずは、この画像を見てください

YouTubeの広告よりスクショ

YouTubeでこんな広告が表示されました。孫正義氏の顔写真や動画が使われ、「38,000円で600万円の収入が保証される」と謳っています。

あなたは、これが詐欺だと気づけますか?

正直に言うと、私は一瞬で「怪しい」と感じました。

でも、多くの人がこういった広告に騙されているのも事実です。

なぜなら:

  • 著名人の顔があると信用してしまう
  • 「AI」「自動取引」という最新技術の言葉に惹かれる
  • 「38,000円」という具体的な数字があると現実味を感じる
  • 「600万円の収入が保証」という夢のような話に期待してしまう

でも、大丈夫です。AIがあなたの味方になってくれます。

怪しいと思ったら、AIに聞いてみよう

今は誰でも簡単にAIを使える時代です。

「この広告、怪しいな」と感じたら、その文章をコピーしてAIに投げかけるだけ。

たったこれだけで、詐欺かどうかの判断材料が手に入ります。

今回、私は「教えて天秤AI」というサービスを使って、4つの異なるAIに同時に質問してみました。

質問した広告の内容:

プログラムはどのように機能するのか?

Bitfinex Platformは、高度な人工知能アルゴリズムを使用して、最も収益性の高い株式市場の取引を見つけ、実行するオンライン取引プラットフォームです。最新アルゴリズムを使用することで、ソフトウェアが自動的に取引プロセスを管理し、お客様の介入やコントロールの必要性を最小限に抑えます。そうすれば、プラットフォームがあなたのために働いている間、通常のライフスタイルを続けることができる。

誰に適しているのか?

人工知能に基づく取引アルゴリズムが、文字通りあなたのためにすべてを行います。医師、タクシー運転手、販売員、主婦、あるいは定年退職者であろうと、このプラットフォームはあなたに適している。経験が浅かったり、現代の技術に不慣れだったりしても、心配したり不安になったりする必要はない。同社の専門家は、必要であれば24時間体制で対応してくれる。

怪しいサイト。そのうち見れなくなるかもしれません。

一見すると魅力的に見えますよね。では、AIはどう判断したのでしょうか?

驚きの結果: 4つのAI全てが「詐欺の可能性が高い」と判断!

ChatGPT、GPT-4.1 nano、Claude Haiku、Gemini 2.5 Flashの4つのAI、全てが即座に「これは怪しい」と警告してくれました。

共通して指摘された危険なポイント:

「必ず儲かる」という非現実的な約束
→ 投資に「絶対」はありません。利益を保証する時点でアウト

リスクの説明が一切ない
→ 健全な投資サービスは必ずリスクを明示します

「誰でも簡単」「何もしなくてOK」という過度な安心感
→ 知識のない人をターゲットにする典型的な手口

運営会社の情報が不明確
→ ライセンス、所在地、規制当局の認可などの情報がない

有名企業・著名人の名前を悪用
→ Bitfinexは実在する暗号資産取引所ですが、このような「株式市場の自動取引」サービスは提供していません。孫正義氏も無関係でしょう

特に印象的だった各AIの指摘:

ChatGPT:
「典型的な過剰な利益約束・透明性欠如・誤解を招くブランド表現の組み合わせ」と的確に分析。具体的な検証手順まで提示してくれました。

Claude Haiku:
最も直接的で、「このような広告は注意が必要で、絶対に金銭を投資してはいけません」と明言。

Gemini 2.5 Flash:
強くお勧めするのは、絶対に手を出さないことです」と警告。公式サイトで確認すべきという具体的なアクションも提案。

GPT-4.1 nano:
「誇張表現や過度な安心感を煽る内容には慎重になることをおすすめします」とバランスの取れた助言。

このように、4つのAIが異なる表現で、しかし同じ結論に達しました。これは非常に重要なポイントです。

なぜ複数のAIで確認するのか?

「でも、AIも間違えるんじゃないの?」

その通りです。

AIは時に誤った情報を生成します(これを「ハルシネーション」と言います)。

だからこそ、複数のAIで確認することが重要なんです。

今回のように、4つの異なるAIが全て同じ結論に達した場合、その判断はかなり信頼できると考えて良いでしょう。

これは一種の「AIによるファクトチェック」です。

参考記事: AIのハルシネーションについて詳しく知りたい方は、私の以前の記事「ハルシネーションはAIだけが理由ではない」をご覧ください。ハルシネーションを過度に恐れる必要がないことが理解できると思います。

あなたも今すぐできる3ステップ

詐欺広告からあなた自身や家族を守る方法は、とても簡単です。

ステップ1: 怪しいと思ったら文章をコピー

広告やメールの文面を選択してコピー(Ctrl+C または Command+C)

ステップ2: AIに質問する

ChatGPT、Claude、Geminiなど、どれでもOK。
「この広告についてどう思いますか?」と聞いて、コピーした文章を貼り付けるだけ

ステップ3: できれば複数のAIで確認

「教えて天秤AI」などのサービスを使えば、一度に複数のAIに質問できます
これだけです。 専門知識は不要。5分もかかりません。

詐欺広告を見抜くチェックリスト

AIに聞くまでもなく、以下の特徴がある広告は要注意です:

  • [ ] 「必ず儲かる」「絶対に損しない」と断言している
  • [ ] 「誰でも簡単」「何もしなくても稼げる」を強調している
  • [ ] 著名人の写真や名前が使われているが、公式発表がない
  • [ ] 運営会社の詳細情報(所在地、ライセンス番号など)がない
  • [ ] 「今だけ」「限定」など、焦らせる表現が多い
  • [ ] 具体的な実績データや第三者機関の認証がない
  • [ ] リスクについての説明が一切ない

一つでも当てはまったら、慎重になるべきです。

もし騙されそうになったら

すぐに相談できる窓口:

  • 消費者ホットライン: 188(いやや!) - 全国共通、最寄りの消費生活センターにつながります
  • 警察相談専用電話: #9110 - 詐欺被害の相談ができます
  • 金融庁 金融サービス利用者相談室: 0570-016811

一人で判断せず、必ず誰かに相談してください。家族、友人、公的機関、どこでも構いません。

まとめ: AIは、あなたの味方です

今回の実験で分かったのは、AIは詐欺を見抜く強力な味方になるということです。

もちろん、AIは完璧ではありません。

でも:

  • 無料で、すぐに使える
  • 複数のAIで確認すれば、信頼性が高まる
  • 「なぜ怪しいのか」を具体的に教えてくれる
  • 使うほど、自分自身の判断力も上がる

「何となく怪しい」と感じたら、その直感を大切に。そして、AIに確認してみてください。

投資詐欺は年々巧妙化しています。

「簡単に大金が手に入る」という甘い誘惑には、必ず裏があります。

でも、AIという強力な味方がいれば、あなたも、あなたの大切な人も守れます。

ぜひ、今日からAIを使ってみてください。

そして、この方法を家族や友人にも教えてあげてください。

【参考資料】各AIの詳しい回答

4つのAIがどのように分析したのか、詳しく知りたい方のために、それぞれの回答を掲載します。

▼ ChatGPTの回答(クリックで展開)

総評:
この広告はかなり怪しい可能性が高いです。特に次の点が赤旗です。

  • 「最も収益性の高い株式市場の取引を見つけて実行する」「AIアルゴリズムがすべて自動で管理」など、利益をほぼ保証するような過度な主張
  • 「介入やコントロールの必要性を最小限にする」など、投資リスクの管理をユーザーにはほとんど任せない印象
  • ブランド名が不明確で、Bitfinex Platform という表現が本当に正規のサービス名なのか疑問。Bitfinexは暗号資産取引所として知られており、株式市場の取引を前面に出す広告はブランドと整合性が取れていません
  • 対象者を誰にでも適していると謳い、専門家のバックアップを強調しつつ、具体的な裏付け(ライセンス、規制、透明性)を示していない

これらは典型的な過剰な利益約束・透明性欠如・誤解を招くブランド表現の組み合わせで、投資勧誘としては慎重に扱うべきサインです。

赤旗ポイント(広告のどこが危険・不審か):

  1. 「最も収益性の高い株式市場の取引を見つけて実行」 → 利益を断言している点が現実的ではない
  2. 「AIアルゴリズムがすべて自動で取引を管理」 → リスクや設定、例外処理、停止条件などの透明性が欠如
  3. 「介入の必要性を最小限に」 → 投資における人間の判断やリスク管理を放棄させる印象
  4. 「24時間体制でサポート」 → 具体的な会社情報・ライセンス情報がないと信頼性を測りにくい
  5. 「誰にでも適している」 → 金融商品は個人の状況で適否が大きく変わる。過度な普遍化は警戒サイン

安全に判断・検証するための手順:

  • 公式情報の確認:会社名、所在地、金融ライセンスの有無を確認する
  • 透明性の確認:アルゴリズムの仕組み、バックテスト方法、過去の実績の開示があるか
  • リスクの開示と費用の透明性:利益の保証や「無リスクで儲ける」主張がないか、手数料の内訳が明確か
  • 実証的な検証:デモ口座での実演が可能か、小額からスタートできるか
  • セキュリティと個人情報:アカウントや資産を守るセキュリティ対策を確認

結論:
現状の広告文だけを見ると、現実的な根拠が乏しい「絶対的な利益保証」的な表現と、ブランド・サービスの整合性が取れていない点から、信頼性は低いと見なすべきです。投資を検討する場合は、上記の検証ステップを踏み、公式情報の裏付けを十分に取り、デモ・小額取引から慎重に進めることを強くおすすめします。

総評:
この広告はかなり怪しい可能性が高いです。

典型的な過剰な利益約束・透明性欠如・誤解を招くブランド表現の組み合わせで、投資勧誘としては慎重に扱うべきサインです。

主な指摘:

  • 「最も収益性の高い株式市場の取引を見つけて実行する」→ 利益を断言している点が非現実的
  • Bitfinexは暗号資産取引所として知られており、株式市場の取引を前面に出す広告はブランドと整合性が取れていない
  • 対象者を誰にでも適していると謳い、専門家のバックアップを強調しつつ、具体的な裏付け(ライセンス、規制、透明性)を示していない

アドバイス:
公式情報の確認、透明性の確認、リスクの開示と費用の透明性、実証的な検証、セキュリティと個人情報の確認など、具体的な検証手順を踏むべき。

▼ GPT-4.1 nanoの回答(クリックで展開)

この広告は非常に怪しいと感じるポイントがいくつかあります。

1. 過剰な安心感を与える表現:
「誰にでも適している」「経験が浅くても大丈夫」といった表現は、大げさに感じられることがあります。投資や取引は常にリスクを伴うものであり、「誰でも簡単にできる」と強調するのは警戒すべきかもしれません。

2. 高額な利益や「自動で儲かる」幻想を煽る:
「最も収益性の高い株式市場の取引」や「人工知能がすべてをやってくれる」といった表現は、理想的なシナリオを想像させており、実際には損失も伴う可能性があります。

3. 不明瞭な会社情報や信頼性の欠如:
「Bitfinex Platform」とありますが、有名な取引所とは関係ない可能性もありますし、実在するかどうかも確認が必要です。

4. 「24時間対応」や「最新アルゴリズム」などの誇大広告:
こういった表現は、信頼性の高い企業も使いますが、過剰に強調しすぎると逆に疑念を抱きやすくなります。

5. 個人情報や資金の安全性に関する情報が不足:
具体的な安全対策や、そのプラットフォームに資金を預けるリスクについての情報がありません。

総合的に言えば、こういった広告には十分注意し、誇張表現や過度な安心感を煽る内容には慎重になることをおすすめします。必ず、公式な情報やレビューを確認し、信頼できる規制下のプラットフォームであるかどうかを見極めてから投資判断を行うようにしてください。

主な指摘:

  1. 過剰な安心感を与える表現 - 投資や取引は常にリスクを伴うもの
  2. 高額な利益や「自動で儲かる」幻想を煽る - 実際には損失も伴う可能性
  3. 不明瞭な会社情報や信頼性の欠如 - 実在するかどうかも確認が必要
  4. 個人情報や資金の安全性に関する情報が不足

アドバイス:
誇張表現や過度な安心感を煽る内容には慎重になり、公式な情報やレビューを確認し、信頼できる規制下のプラットフォームであるかどうかを見極めてから投資判断を。

▼ Claude Haiku 3.5の回答(クリックで展開)

この広告は非常に怪しく、典型的な投資詐欺の特徴を持っています。以下の点に注意が必要です。

1. 疑わしい点:

  • 「AI」や「自動取引」で簡単に儲かると約束
  • 実績や具体的な仕組みの説明がない
  • 誰でも簡単に稼げると謳っている
  • 24時間サポートを強調

2. 典型的な詐欺の手口:

  • 高収益を保証
  • 専門知識不要と謳う
  • 具体的な根拠を示さない
  • 誰でも簡単に稼げると誘惑する

3. リスク:

  • 詐欺の可能性が非常に高い
  • 投資金を失う危険性
  • 個人情報やお金を騙し取られる可能性

結論:
このような広告は注意が必要で、絶対に金銭を投資してはいけません。信頼できる情報源や専門家に相談することをお勧めします。

判定: 非常に怪しく、典型的な投資詐欺の特徴を持っている

疑わしい点:

  • 「AI」や「自動取引」で簡単に儲かると約束
  • 実績や具体的な仕組みの説明がない
  • 誰でも簡単に稼げると謳っている

リスク:

  • 詐欺の可能性が非常に高い
  • 投資金を失う危険性
  • 個人情報やお金を騙し取られる可能性

結論: このような広告は注意が必要で、絶対に金銭を投資してはいけません。

▼ Gemini 2.5 Flashの回答(クリックで展開)

はい、この広告はかなり怪しいです。いくつかの点で警戒すべき特徴が見られます。

1. 「Bitfinex Platform」という名称の利用:
Bitfinexは有名な暗号資産取引所ですが、彼らがこのような「高度なAIによる全自動株式市場取引プラットフォーム」を公式に提供しているという情報は聞いたことがありません。もし公式のものであれば、もっと大々的に発表されるはずです。有名企業の名前を騙って信用させようとする手口は詐欺によく見られます。必ず公式のBitfinexのウェブサイト等で、本当にこのようなサービスを提供しているか確認してください。

2. 誇大広告と楽な儲け話:
「最も収益性の高い株式市場の取引を見つけ、実行する」「ソフトウェアが自動的に取引プロセスを管理」「プラットフォームがあなたのために働いている間、通常のライフスタイルを続けることができる」といった表現は、典型的な「楽して大金が手に入る」という詐欺の誘い文句です。投資の世界に「絶対に儲かる」「何もしないで高収益」といったものは存在しません。

3. 対象者が「誰にでも」:
「医師、タクシー運転手、販売員、主婦、あるいは定年退職者であろうと、このプラットフォームはあなたに適している」「経験が浅かったり、現代の技術に不慣れだったりしても、心配したり不安になったりする必要はない」
これも詐欺広告の典型です。投資知識のない人、リスクを理解していない人をターゲットにして、安心感を過度に与えようとしています。

4. 「専門家が24時間体制で対応」:
一見親切に見えますが、これも信頼させようとする手口です。実際に問題が発生した際に、本当に対応してくれるのか、日本語が通じるのか、責任を取ってくれるのかは不明です。

結論として、この広告は非常に危険な香りがします。

もしこれがBitfinexを騙る詐欺である場合、投資した資金が戻ってこない、個人情報が悪用されるなどの被害に遭う可能性があります。強くお勧めするのは、絶対に手を出さないことです。

もし興味があるなら、まずはBitfinexの公式サイトにアクセスし、このようなサービスが本当に提供されているのかどうかを公式情報で確認するべきです。安易な儲け話には絶対に飛びつかないように注意してください。

判定: かなり怪しい。非常に危険な香りがする。

主な指摘:

  1. 「Bitfinex Platform」という名称の利用 - 有名企業の名前を騙って信用させようとする手口
  2. 誇大広告と楽な儲け話 - 典型的な「楽して大金が手に入る」という詐欺の誘い文句
  3. 対象者が「誰にでも」- 投資知識のない人をターゲットにしている
  4. 「専門家が24時間体制で対応」- 信頼させようとする手口

アドバイス:
強くお勧めするのは、絶対に手を出さないこと。

もし興味があるなら、まずはBitfinexの公式サイトで本当にこのようなサービスが提供されているか確認すべき。

tenbin.ai

最後に一言:

このような広告には絶対に金銭を投資しないでください。

少しでも怪しいと感じたら、AIに相談する、家族に相談する、消費者ホットライン(188)に相談する。

一人で判断せず、必ず誰かに相談してから決めてください。

差別の構造は世界共通だった——映画『よみがえる声』から広がる思考

フォトスケープ

上映期間
10月24日(金)〜10月30日(木)

監督
朴壽南、朴麻衣

上映時間
148分

はじめに——教えられなかった歴史との出会い

この映画を観て、正直なところ衝撃を受けました。

戦争、特に日本が関わった当時の行動について、私は詳しく理解していませんでした。

子供の頃から、明治以降の歴史についてあまり細かく授業で習った記憶がありません。

特に、「植民地」という言葉さえ、教科書にあったかどうか定かではありません。

今になって考えると、不都合な真実は教える必要がなかったのでしょうか。

この映画は、そんな「知らなかった歴史」と向き合わせてくれました。

そして、一つの映画から、私の思考は次々と広がっていきました。

朴壽南監督——在日朝鮮人二世の映像作家

朴壽南(パク・スナム)は、日本で生まれ育った在日朝鮮人二世の映像作家です。

幼少期には皇民化教育を受け、「皇国少女」として天皇を神と信じる教育を受けてきました。

民族衣装を着たお母さんが差別的な扱いを受け、罵声を浴びせられた屈辱的な経験から、在日朝鮮人に対する深い憎悪を感じるようになりました。

一時期、朝鮮人としての尊厳を失ってしまいましたが、朝鮮学校での学びを通して、再び民族的な魂を取り戻していきます。

そして彼女は、ライフワークとして沈黙の中に埋もれてきた在日朝鮮人一世の声を記録し続けることになります。

小松川事件——差別が生んだ悲劇

1950年代の在日朝鮮人

戦後の1950年代、日本に定住した約60万人の在日朝鮮人たちは、民族差別によってまともな職に就くことができず、貧困に苦しんでいました。

この絶望的な状況から抜け出すため、「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮への帰国事業が進められる中で、小松川事件という悲劇が起きました。

事件の概要

1958年8月、東京都立小松川高等学校定時制に通っていた女子生徒が殺害される事件が発生しました。

映画では、被害者のお宅へ電話取材を行っている場面があります。

その中で、被害者の父親は、過去の震災に触れ、兄弟で多くの韓国人を非道な方法で殺害したという話をしていました。

それにもかかわらず、多くの韓国人が娘のお悔やみに訪れることに対し、ある種の心の痛みを感じている様子が、音声から伝わってきました。

この父親が触れていた「震災」とは、1923年の関東大震災のことです。

当時、「韓国人が井戸に毒を流した」というデマが広まり、多くの韓国人が殺害されるという悲劇がありました。

犯人とされた李珍宇

この事件で犯人として逮捕されたのは、在日朝鮮人二世の李珍宇(イ・チヌ)でした。

逮捕後、それまで迷宮入りとなっていた他の女性殺害事件についても自供しました。

李珍宇は優秀であり、日立製作所への就職を希望していましたが、韓国人であるという理由から、その夢が叶いませんでした。

失意の中での絶望が、彼を追い詰めたと思われます。

この供述が真実であるのか、あるいは冤罪であったのか、現時点では判断できません。

翌1959年に第二審で死刑判決が下されました。

この判決に異議を唱えた日本の文化人、大岡昇平氏や吉川英治氏らは「李珍宇君を助ける会」を結成し、助命嘆願運動を展開しました。

朴壽南もこの運動に参加し、事件を自分自身の問題として捉えていました。

わずか4年後の1962年11月、異例の速さで絞首刑となり、22歳という若さでその生涯を閉じました。

後に刊行された朴壽南と李珍宇の往復書簡集『罪と死と愛と』は、多くの人々の心を揺さぶり、ベストセラーとなりました。

差別の構造は世界共通だった

同じ時代、アメリカでも

小松川事件を知って、私はあることを思い出しました。

ちょうど同じ1950年代、アメリカでも、差別が若い命を奪う事件が起きていました。

1955年、エメット・ルイス・ティル(愛称ボボ)という14歳のアフリカ系アメリカ人の少年が、白人女性に口笛を吹いたという理由で殺害されました。

イリノイ州シカゴの実家からミシシッピ州の親類を訪ねていた際、食料品店の店主ロイ・ブライアントの妻キャロライン(当時21歳)に対して口笛を吹いたとして、ロイ氏と兄弟のJ. W. ミラン氏から因縁をつけられました。

二人はティルの大叔父の家から彼を無理やり連れ出し、納屋に連れ込んでリンチを加え、片方の眼球をえぐり出しました。

さらに、銃で頭を撃ち抜き、有刺鉄線で70ポンド(32キログラム)の回転式綿搾り機を首に縛りつけて重りにし、死体をタラハシー川に捨てました。

遺体は3日後に川から発見されました。

判決において、被告ロイ・ブライアントとミランはティルの誘拐と殺人について無罪になりました。

この事件を契機に、2022年3月29日、バイデン大統領によって「エメット・ティル反リンチ法」が署名され、リンチを連邦レベルの憎悪犯罪(ヘイトクライム)として指定し、最高30年の禁錮刑を科すことが定められました。

事件から67年後のことでした。

共通する構造

李珍宇とエメット・ティル。

一人は在日朝鮮人、もう一人はアフリカ系アメリカ人。

国も違います。

しかし、二人に共通するのは、マイノリティとして生まれ、差別される側に立たされ、理不尽な社会に直面し、若くして命を奪われた(あるいは未来を奪われた)という事実です。

日本の関東大震災でのデマによる虐殺、小松川事件の背景にある差別、そしてアメリカのエメット・ティル事件 -時代も場所も違うのに、構造は恐ろしいほど似ています。

マイノリティに対する偏見、根拠のないデマ、そして暴力。

差別は、個人の尊厳を踏みにじるだけでなく、未来そのものを奪い去ります。

そして、それは日本だけでなく、世界中どこにでも存在していたのです。

子供の頃の疑問——今になって分かったこと

ここで、私自身の体験を書きたいと思います。

子供の頃、韓国で事故があったときにニュースで韓国の様子を映すことがありました。

被害にあった人や近くの人に内容を聞くとき、高齢の方々が流暢な日本語を話していました。

私は当時、「やたらと日本語がうまいよなぁ」「というより日本人って感じるけど違うのかなぁ」と漠然と思っていました。

今になって分かりました。

あの人たちは、日本の植民地時代に日本語教育を受けた世代だったのです。

1910年から1945年まで、朝鮮半島は日本の統治下にありました。

その間、朝鮮語は制限され、日本語が強制されました。

名前まで日本式に変えさせられた人も多くいます。

教科書では「1910年から1945年まで朝鮮半島を統治した」と一行で終わります。

しかし、実際には何百万人もの人々が、母語ではない言語を強制され、自分の名前を奪われ、尊厳を踏みにじられながら生きていたのです。

その人たちは今も生きています。

テレビで見た「日本語が上手な韓国の高齢者」は、まさに植民地支配の生きた証人でした。

まさにこれが、日本のしてきたことなんだと気づいたとき、胸が痛みました。

日本が実効支配した歴史

映画には直接出て来ませんが、私はこの機会に日本の植民地支配の歴史全体について調べたくなりました。

日本が歴史的に実効支配した地域は、台湾、朝鮮半島、樺太(南半分)、千島列島、南洋諸島(ミクロネシア連邦、マーシャル諸島、パラオなど)があります。

第二次世界大戦までの実効支配地域

  • 台湾: 1895年から1945年まで日本の統治下
  • 朝鮮半島: 1910年の韓国併合から1945年まで植民地支配
  • 樺太: 1905年のポーツマス条約により南半分が日本の領土となり、第二次世界大戦終結まで支配下
  • 千島列島: 1875年の樺太千島交換条約により日本の領土となったが、第二次世界大戦後にソ連(現ロシア)が占領
  • 南洋諸島: 第一次世界大戦後に国際連盟から委任統治領として日本が統治

戦後の領土問題

第二次世界大戦後、現在も日本政府が実効支配を主張している領土として、尖閣諸島、竹島(韓国が実効支配)、北方領土(ロシアが実効支配)などがあります。

在日朝鮮人・中国人の歴史

終戦直後の朝鮮人残留者数については、日本政府が把握していた245人という数字や、7,000人という推定値があるなど、数字の不確実性が指摘されています。

徴用された朝鮮人の中には、不当な徴用や女子のケースなど、多くの問題がありました。

現在、日本には多くの韓国・朝鮮ルーツを持つ在留者がいます。

また、在留中国人は約74万人に上ります。

帰化する外国人のうち、韓国・朝鮮籍の人が多数を占めており、過去の統計では日本への帰化許可者の約4割を占めています。

朴壽南監督のライフワーク——沈黙の声を記録する

朴壽南は、小松川事件をきっかけに、一人で在日朝鮮人一世の方々の体験を聞き取るために日本各地を訪ね歩き、取材記事を発表していました。

南北分断の狭間で置き去りにされてきた同胞の存在を取り戻そうとする闘いであり、存在の不条理を問うとき、そこには歴史に翻弄され、存在を抹殺されてきた同胞の人生が交錯します。

朝鮮人被爆者の記録

在日朝鮮人一世への直接取材を開始し、日韓協定によって賠償問題から見過ごされていた朝鮮人被爆者の声を記録しました。

差別への恐れから沈黙を守り続け、高齢化して一世の多くの人が亡くなっていく中で、映像作品『もうひとつのヒロシマ—アリランのうた』(1986年)が製作されました。

朴壽南は、ライフワークとして朝鮮半島出身の原爆被爆者の方々の実情と、現代における課題に焦点を当て続けています。

徴用工問題と被爆者

韓国の徴用工問題は、朝鮮半島の労働者が戦時中に日本本土などで強制労働をさせられたと主張し、元徴用工とその遺族らが日本企業に対し損害賠償を求めている裁判を巡る問題です。

日本政府は1965年の日韓基本条約で、植民地支配に関する問題は最終的に解決されたと主張しました。

しかし、戦後十分な医療さえ受けられずに韓国で厳しい状況に置かれていた原爆被害者、朝鮮半島出身の被爆者の方々に対する国家賠償責任は、依然として果たされていません。

韓国の司法は2018年の大法院判決以降、個人の損害賠償請求権は消滅していないと判断し、日本企業への賠償命令が相次いでいます。

1990年代の映像と現在の状況を結びつけながら、娘の朴麻衣と共に再び長崎を訪れ、日本市民と韓国からの徴用工の方々との裁判闘争を取材しています。

日本政府による歴史の歪曲や、関連作品への検閲が続く中でも、朴壽南は30年以上にわたり、沈黙の中に埋もれてきた歴史の被害者の方々の声を記録し続けています。

韓国人の被爆者は、日本人とは異なり、認定も受けられず苦しみの中で多くの人が亡くなられています。

関東大震災での虐殺——デマが生んだ悲劇

大正12年(1923年)9月1日11時58分、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される関東大震災が発生しました。

震災の混乱の中、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人や社会主義者が暴動を起こした。放火した」といったデマが広まりました。

これらのデマを信じた官憲や自警団などが、自主的に暴動を起こしたのではないかと推察されます。

明治以降、中国や韓国に対して行った行為について、私たちはどのように考えるべきだろうか。

もしかしたら、現在の中国や韓国の対応は、そのような歴史的背景が如実に表れているのではないかと考えると、複雑な気持ちになります。

戦後何年も経つのに、この問題が解消されない原因には、こうしたことがあるのかもしれません。

表向きはすでに過去のこととされていますが、そうとも言い切れない状況です。

きっと、世界中のどの国においても、隣国との関係が最も気懸かりなことの一つでしょう。

中国人や朝鮮人だけではなかった——アイヌ・琉球への視点

この問題は、時間が経てば自然に解決するというわけでもないようです。

中国や韓国に対して行ったことについて何かを言う前に、日本国内に目を向けてみましょう。

同胞であるアイヌ民族や琉球民族のことを考えると、その歴史的背景の重みを強く感じずにはいられません。

明治以降の同化政策により、アイヌ民族や琉球民族は、伝統的な生活や経済活動を制限されてきた歴史的経緯があります。

また、第二次世界大戦下においては、沖縄は激戦地となり、多くの人々が犠牲になりました。

差別は、海外に対してだけでなく、国内でも行われてきたのです。

振り返って感じること——教えられなかった歴史と向き合う

今回の映画は、観客に多くのことを考えさせる作品となりました。

普段であれば、「よくわからない映画だったな」とか「面白い映画だった」といった一言二言で感想を済ませてしまうかもしれません。

しかし、この映画は違います。

知らなかったことへの衝撃

正直なところ、日本が戦争中に何をしてきたのか、詳しく理解していませんでした。

そして、それは私だけではないと思います。

子供の頃から、いろいろな事情を知りながらも、細かい内容は「不都合な真実」のように、あまり教科書には載っていませんでした。

ほとんど知らないまま大人になり、その後の人生で少しずつ知るようになりました。

世界共通の差別構造

現在でも、民族間や宗教間の争いは多く、収まっているようには見受けられません。

日本の歴史を振り返ると、第二次世界大戦前や戦後の出来事、関東大震災におけるデマによる暴動などは、今となっては教訓として学ぶべき事柄です。

むしろ、「平和ボケ」していると言われるほど、世界との間に隔たりがあるのではないかと考えると、いずれにしても良い状況とは言えないように感じます。

沈黙の声を記録し続ける意味

しかし、この映画のように、沈黙の中に埋もれてきた声を記録し続ける人がいる限り、私たちはまだ学び、考え、未来を変えていくことができるのかもしれません。

朴壽南監督が30年以上にわたって記録し続けてきた声は、「もう過去のこと」として忘れ去られそうになっていた歴史を、現在に蘇らせました。

きっと、世界中のどの国においても、隣国との関係が最も気懸かりなことの一つではないでしょうか。

そして、その関係を良くするためには、まず自分たちの歴史を正直に見つめることから始めなければなりません。

この映画は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれました。

差別の構造は、世界共通でした。

そして、それと向き合う勇気もまた、世界共通であるべきなのです。

映画「アフター・ザ・クエイク」を観て感じたこと

フォトスケープ

作品について

原作は村上春樹の傑作短編連作『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫刊)です。

岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市、堤真一ほか豪華俳優陣で映像化されました。

物語の鍵を握る"かえるくん"の声をのんが演じています。

監督は連続テレビ小説『あまちゃん』、映画『その街のこども』など数々の話題作を手掛けてきた井上剛。

脚本を『ドライブ・マイ・カー』の大江崇允、音楽を『花束みたいな恋をした』の大友良英が手掛けています。

本作はNHKドラマ「地震のあとで」(2025年4月放送)と物語を共有しつつ、4つの時代を結ぶ新たなシーンが加わり、30年という時代のうねりを映し出した1本の映画です。

ストーリー:
1995年の阪神・淡路大震災以降、それぞれ別の時代・場所で喪失感を抱える4人の人生が交錯し、2025年の現代へとつながっていく様子を描きます。

誰もが抱える不安と孤独を、マジックリアリズムを交え描き出した先に提示されるのは人との繋がり、そして目に見えない想像力の大切さです。

「未来はあなたの想像力次第でどんな風にも変えられる」というかえるくんの言葉に導かれ、主人公4人がたどり着いた答えとは―。

正直な感想:完璧には理解できませんでした

村上春樹作品は有名な割に、『1Q84』くらいしか読んだことがありません。

今回は『神の子どもたちはみな踊る』という連作短編が原作とのことですが、原作を読まずに挑戦しました。

実は少し前に、Eテレの「100分de名著」で『ねじまき鳥クロニクル』の特集を観て、BOOKOFFで上巻を購入したものの、まだ下巻すら買えておらず積読状態です。

そんな状態で観たこの映画は、正直一度観たきりでは理解しきれない重さがありました。

三つの構成、それぞれの主人公

この映画は三つの構成になっていて、それぞれに主人公がいます。

その中でキーマンだけが何となく、かえるくんとのつながりが見えているようで見えてない感じで登場していました。

佐藤浩市は一番最後の短編で出てくるのですが、真っ白な髪が印象的でした。

あれは染めたものなのか、それとも年齢による自然なものなのか。

格好良い人は、どのようなことをしても格好良いものです。

改めてそのように感じました。

堤真一のたき火のシーン

特に印象に残ったのは堤真一が演じる人物です。

神戸の震災前に家を出たと語っていました。

行きついた場所で毎日のようにたき火をしている生活。

たき火のパチパチという音、温かさ、そこからいろいろと感じることがありました。

レオナルドAI

映画の中で彼が語る「理想の死に方」は、冷蔵庫の中に閉じ込められて窒息して死ぬこと。

何か深い喪失感や孤独を感じさせるセリフでした。

他の人のレビューを見て

多くの人が「世界観を理解できない」「途中から寝てしまった」「かえるくんに違和感を感じる」といった感想がありました。

一方で、「世界観がよく分かった気がする」という人もいて、感じ方は理解度や村上春樹の世界観に慣れているかどうかで様々なようです。

通常の連作短編は、同じ時代、比較的近い場所で、それぞれ繋がってはいないけれど顔見知りという距離感で描かれることが多いです。

しかしこの映画は時代も超えたもので、連作短編と言えるのか、それとも単純に独立した短編集なのか。

「失われた30年」という大きな時間軸を扱っているからこその難しさがあるのかもしれません。

それでも感じた「村上ワールド」

分からないというより、「村上ワールドってこんな感じ」という何となくの理解はあります。

以前『1Q84』を文庫本で8冊ほど集中して読んだ記憶がありますが、あの作品もSFでありながら、どこか通じる世界観がありました。

毎回思うのは、現実の世界と異世界を行き来している感覚です。

かえるくんもそんな存在で、見える人は限られているらしいです。

もちろん映画を観ている私たちには見えていますが、その存在自体に違和感を覚える人が多いようです。

自分の場合、SF好きということもあって、こういった不思議な存在が登場する世界観は意外と受け入れやすいです。

観るきっかけになったのは大友良英の音楽

音楽を大友良英が手掛けているというのも、この映画を観るきっかけになりました。

彼の音楽がどのように物語を彩っているのか、それも楽しみの一つでした。

最後に

完璧に理解できたわけではありません。

でもそれでいいのかもしれないと思いました。

村上春樹の作品は、理解するというより「感じる」ものなのかもしれません。

いろいろな出来事のその後を描いた作品で、大惨事の中の人の心の動きを捉えたものです。

日々目まぐるしく変化する時代に生きる私たちが、今再び大切なものを見つけ出すための希望の物語-そんな風に受け止めました。

一度観ただけでは掴みきれない何かがあります。

でもそれは決して悪いことではなく、もう一度観たくなる理由になるのかもしれません。