■2025年製作/日本/110分 言語:日本語 監督:足立正生
1. 『逃走』が映し出す時代の狂騒
足立正生監督、古舘寛治主演の映画『逃走』を4月19日に鑑賞してから数日が経過したが、作品の余韻は今も胸の内で波紋のように広がっている。本作が強烈に描き出したのは、1970年代日本の異様な熱気だ。
日本は欧米に追いつき、追い越そうと邁進する中で、取り返しのつかない何かを置き去りにしてきたのではないか。それは、心の豊かさや弱者に寄り添う優しさといった、目には見えない大切なものだったのかもしれない。
当時の熱量は今となっては記憶の断片のように曖昧だが、社会全体が沸騰していた。学生運動の激化、連続企業爆破事件、深刻な公害問題、そして袴田巌さんの冤罪事件 -これらはすべて、抑えきれない衝動の爆発を象徴する出来事だった。
2. 1970年代、日本の異様な熱気が生んだひずみ

学園闘争:若者の抵抗
大学の教育体制やベトナム戦争への反発から、学生運動は激しさを増した。デモやストライキに加え、一部はバリケード封鎖や警察との衝突に発展した。
連続企業爆破事件:社会への挑戦
三井物産や三菱重工業などを狙った爆破事件は、社会を震撼させた。犯行声明では大企業の利益追求批判と社会変革が訴えられ、若者の不信感と体制への異議申し立てを象徴している。
共通する時代背景:高度経済成長と若者の不満
1970年代、日本は高度経済成長を謳歌する一方で、所得格差や公害問題が深刻化していた。学生運動や企業爆破事件は頻発し、若者たちは社会の矛盾に対し、鬱積した不満を過激な行動で示した。
潜在的な繋がり:思想と行動の連鎖
学園闘争と連続企業爆破事件の直接的関連性は不明確だが、時代背景や社会への不満を共有している。学園闘争で社会の矛盾を認識した学生が過激化し、爆破事件に至った可能性も考えられる。当時の若者の抵抗は、社会変革への希求の表れであった。
3. 環境保護と経済発展の両立
公害問題は、経済発展の陰で環境と健康が犠牲になった歴史を持つ。日本では水俣病などの四大公害病をはじめ、企業活動による深刻な環境汚染が健康被害をもたらした。 当時の政府は経済成長を優先し、公害を容認する姿勢が見られたが、多くの被害者を生む結果となった。過去の過ちから学び、環境保護と経済発展の両立を目指す必要がある。持続可能な社会のため、未来世代に美しい地球を引き継ぐ責任がある。
4. 現代の日本は平和なのか
あの時代を振り返ると、現代の日本は表面的には豊かになったかもしれない。しかし、本当に平和になったのだろうか。社会の熱量は失われ、無気力で平和ボケした国になってしまったのではないか。
人々の価値観も変化している。お金に執着する者は多いが、現代の「金の亡者」は動画編集や副業スキルを短期間で習得できるとうたい、人々を惑わせている。何が真実なのかを見極めるのが難しい時代だ。最終的には、時間がその本質を証明することになるだろう。
現代もまた、あの頃のような混沌とした時代へと再び足を踏み入れようとしているのかもしれない。日本社会はどこへ向かうのか。
5. 時代の狂騒と人々の葛藤
連続企業爆破事件を題材とした本作は、激動の時代に生きた人々の葛藤をリアルに描いている。社会が煮えたぎるような衝動に突き動かされながらも、何かを求め続けた人々の姿がある。 映画の中で描かれた問いが今も胸の奥に響く。日本は、本当に過去の混乱を乗り越えたのか。それとも、形を変えて同じ軌跡をなぞっているのか。
6. 連続企業爆破事件と桐島聡——逃亡と時代の記憶
半世紀の逃亡生活の末に病に倒れた新左翼グループ元メンバー桐島聡。本作は彼の特異な生涯を丹念に描き、「記憶とは何か」という根源的な問いを投げかける。
古舘寛治は抑制の利いた演技で、多くを語らずとも静けさの中に物語る力を宿し、観客の想像力を掻き立てる。時代の影を背負い、落ち着き払って生き抜いた桐島の空虚さと強靭さが、彼の演技から静かに伝わる。
連続企業爆破事件を知る者は現代にどれほどいるだろうか。風化しつつある出来事と逃亡を続けた桐島の人生が交錯する本作は、単なる犯罪史に留まらず、日本社会の変容を映す鏡となる。
7. 『私は桐島聡です』——逃亡の果てに

1970年代、日本社会を震撼させた連続企業爆破事件。その実行グループ「東アジア反日武装戦線」の一員として、長年逃亡を続けた桐島聡。特に三菱重工ビル爆破事件では、死者8名、負傷者380名という惨劇を引き起こしたとされる。この事件は当時の日本社会に深い傷を残し、企業と若者の対立を象徴する出来事となった。
指名手配後、桐島は「内田洋」という偽名を使い、神奈川県藤沢市の工務店に身を隠していた。ひっそりと暮らしながらも、1960〜70年代のブルースやロックを愛し、月に一度ライブバーに足を運んでいたという。しかし、彼の胸の内には常に過去の仲間たちの影があった。
獄中闘争を続ける者、国外へ逃れた者、自ら命を絶った者 -桐島は孤独な逃亡生活の中で、社会の変容をどのように見つめていたのだろうか。 2024年、末期がんと診断された桐島は、病院のベッドで死を目前にする。薄れゆく意識の中に浮かぶのは、東アジア反日武装戦線としての活動、そして長きにわたる逃亡の日々。その人生をかけて彼が追い求めたものは何だったのか。
そして、死の間際に発した「私は桐島聡です」という言葉。その一言には、何が込められていたのか。
8. 1970年代の光と影、変遷の先の未来
学園闘争と企業爆破事件は、高度経済成長の陰で社会矛盾が露呈した1970年代を象徴する出来事だ。現代の社会運動はその形を大きく変え、ネットやSNSの普及により多様化している。 一方、連続企業爆破事件は風化しつつある。事件を知らない私たちの世代には、背景にある社会情勢や思想の理解は難しい。しかし、過去を振り返ることで、日本社会の変遷を考察できる。この変遷は、新しい日本がこれから進むべき道を示唆しているのかもしれない。
激動の時代があったからこそ、現代の日本が存在し、これからも世界情勢に翻弄されながら新たな日本を模索していくための重要な一歩となるだろう。過去、現在、未来 -私たちは確かに繋がり、そして未来を創造していく。
9. 監督の素顔と時代の影
足立正生(1939年生)は、映画監督、脚本家、俳優として知られる傍ら、パレスチナ解放人民戦線や日本赤軍にも関与した異色の人物だ。彼の作品は、時代の混沌を色濃く反映している。 足立監督は自身の半生を投影し、桐島の苦悩と決意を描く。1970年代社会運動の光と影を映し出し、現代に問いを投げかける。
この映画を観て、あなたは何を感じ、今の時代に何を問いかけますか?