
上映期間: 10月10日(金)〜10月23日(木)
監督: 上田大輔
上映時間: 129分
鑑賞日: 2025年10月11日(シネマテークたかさき)
はじめに
とても重い映画で、どう感想を書いたらいいのか悩んでしまいました。
この事件自体、私は全く知らなかったのか、すっかり忘れていたのか、思い出すこともできませんでした。
しかし、こんなことがあったということは書き残しておくべきだと思い、記事にしてみます。
映画の概要
関西テレビ報道記者の上田大輔監督は、もともと無実の人を救う弁護士を目指していました。
しかし、有罪率99.8%という刑事司法の現実を前に絶望し、企業内弁護士として関西テレビに入社します。
その後、一度は背を向けた刑事司法の問題と向き合うため、記者という道を選ばれました。
上田監督が記者1年目から取材を続けているのが、「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome)」、通称SBSです。
2010年代、赤ちゃんを揺さぶって虐待したとして、親などが逮捕・起訴される事件が相次ぎ、マスコミでも多く報じられてきました。
SBSは、子ども虐待対応のための厚生労働省のマニュアルや診断ガイドにも記載されており、幼い命を守るという強い使命感を持って診断にあたる医師たちがいました。
その一方で、「SBS検証プロジェクト」が刑事弁護人や法学研究者によって立ち上げられます。
チームは、無実を訴える被告の方やご家族に寄り添い、事故や病気の可能性について徹底的に調査しました。
虐待をなくすための正義と、冤罪をなくすための正義が、激しく衝突し合っていたのです。
やがて、無罪判決が続出するという前代未聞の事態が巻き起こります。
現在では、厚労省のマニュアルや診断ガイドからも、「揺さぶられっ子症候群」に関する記載は削除されたとのことです。
メディアの暴力性
実名や顔が公表され、センセーショナルに報じられる刑事事件。
逮捕の報道に比べ、その後の裁判の扱いは小さいのが現状です。
たとえ無罪となったとしても、一度貼られてしまった「犯人」というレッテルは、ネット空間から消えることはありません。
また、長期間の勾留によって奪われてしまった時間も、取り戻すことはできないのです。
上田監督は、SBS事件の被疑者とその家族との対話を重ねる中で、報道する側の暴力性を自覚し、ジレンマに苛まれながらも、彼らの埋もれていた声を届け、司法とメディアのあり方を問う報道に挑みました。
犯人が逮捕された際のみ大々的に報道されることが、冤罪に加担するメディアの問題点です。
報道をする人は見るべき作品であると感じました。
最近では、インターネットの普及により、マスコミに限らず、フェイクニュースなどもこれに近いものがあると感じています。
「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」
映画内で語られるこの言葉は、刑事裁判の基本原則の一つです。
無辜(むこ)とは: 無実の人、罪のない人のこと
この格言が持つ意味:
- 冤罪は人権侵害であり、絶対に避けなければならないという強い決意を表している
- 真犯人を逃すことの社会的な損失よりも、無実の人の犠牲を何よりも重いものと捉えている
この言葉は、周防正行監督の映画『それでも僕はやってない』(2007年)の冒頭にも引用されています。
あの映画では、満員電車内で起きた痴漢事件で被害者に犯人と勘違いされた主人公が、執行猶予付きの判決を受け、非常にショックを受けていたのを覚えています。
故意のでっち上げではなく、誤認による冤罪でした。
また、直近では『でっちあげ』という映画で、教師の暴行をでっち上げられた話なども記憶に新しいところです。
日本の司法制度は、かつてほど硬直的ではなくなり、批判を受ければそれに応じて適切に改善されるようになっています。
しかし、それでも冤罪は起こり続けているのです。
冤罪の先にあるもの―ドラマ『イグナイト』から
冤罪がもたらす被害は、判決が覆れば終わるものではありません。
以前紹介した『イグナイト』というドラマのエピソードを思い出しました。
「依頼を待つのではなく、争いの火種を見つけて訴訟を焚きつける」という大胆な発想は、まさに「Ignite(火をつける)」というタイトルにふさわしいものでした。
1話完結のドラマでしたが、とても心に残る話が多かったことをよく覚えています。
その中の一つが、母親、長男、妹の三人家族の物語でした。
兄は過去に痴漢で捕まり、会社も辞めて引きこもっていました。
その後、被害者であった女性が故意に複数の事件で同じことを繰り返し(つまり痴漢被害をでっち上げて)、捕まっていたことが判明します。
しかし、兄はその事実を知ることもなく、事件後ずっと過去に縛られることになったのです。
妹は、兄がそんなことをするような人だとは全く思っていませんでした。
妹が会社に入社した際も、兄は顔を見せませんでしたが、プレゼントをくれるなど優しい人だったのです。
そんなある日、妹が帰り道で女子高生と揉み合いになり、不意にその女子高生を殺してしまいます。
そしてそれを偶然見かけた兄は、自分がやったことだと罪を被るのです。
ここで私が一番伝えたいのは、身代わりになったことや、最後にいいことをして終わらせたいということではありません。
冤罪の末には、こんな悲劇も起こりうるということです。
一度「犯罪者」のレッテルを貼られた人は、たとえ無実であっても、その後の人生を奪われます。
自尊心を失い、社会との繋がりを断たれ、もう一度立ち上がる力さえ奪われてしまうのです。
印象的だった事例―20代後半の男性被疑者
映画内で紹介された、20代後半の男性被疑者のケースが印象的でした。
本人が「俺がそんなことするわけないやろ」と主張している点に、やや怪しげな印象を受けるかもしれません。
しかし、秋田弁護士の「無罪である」という先見性はさすがだと感じました。
よくよく考えれば、無実なのにメディアに囲まれれば、このような行動に出てしまうこともあるでしょう。
結局、この人は5年間も拘置所に留置されていました。
最終的に無罪が確定することになりますが、この人は拘置所内で司法試験の勉強を開始され、多くの書籍を持ち帰られたほどでした。
医療に関わる事件では、一般の人にとっては確かに判断が難しくなり、誰の判断が正しいのかも分かりにくくなります。
それでも、戦って勝てるというのは素晴らしいことです。
無罪判決が出た際、裁判官ははなむけの言葉として「本当にご苦労様でした」と言いました。
秋田弁護士によれば、裁判官は本来そういうことを言わないとのこと。
その裏には、内容的に無実だと確信していたので、そう言葉で締めくくったのかもしれないという考察でした。
立場上、そうなるのでしょうね。
最後に
最近では、袴田巌さん事件や三浦和義事件など、様々な出来事がありました。
ただし、三浦和義事件は非常にグレーな部分が大きいように思われます。
何が正しく何が悪いのか、とても難しい判断になるのだと思います。
でも私には、「10人の真犯人を逃しても一人の冤罪を作ってはいけない」というこの言葉のわりに、社会は冤罪だらけではないか、そう感じてしまいます。
もしかしたら、今も冤罪で入っている人が多いのではないでしょうか。
そして記者として何を信じるべきか、上田監督を最も揺さぶることになる人物と対峙することになります。
自分にしかできないと編み上げたこの映画は、贖罪と覚悟の物語となっています。