
この映画を観たのは9月27日です。
今日で30日になりました。
3日間、何をどう書けばいいのか分かりませんでした。
監督が最終的に何を伝えたかったのか、つかめないまま記事が進まなかったのです。
別にプロではないのですから、完璧に書く必要もありません。
そう思いながら、いろいろなブログやレビューを読み漁りました。
でも結局、自分が感じたことを率直に書くしかないのだと思います。
多くの人が同じように「分かりづらい」と感じているようですし、この映画は一人ひとりの感性に委ねられている作品なのかもしれません。
作品情報
上映期間:9月26日(金)〜10月23日(木)
監督:真利子哲也
出演:西島秀俊、グイ・ルンメイ
上映時間:138分
あらすじ
ニューヨークで暮らす日本人の賢治(西島秀俊)と中華系アメリカ人の妻ジェーン(グイ・ルンメイ)。仕事、育児、介護に追われ、余裕のない日々を過ごしていました。ある日、5歳の息子カイが誘拐され、殺害事件へと発展します。悲劇の中で、二人が口に出さずにいた本音や秘密が露呈し、夫婦間の溝が深まっていきます。
日本・台湾・アメリカ合作のヒューマンサスペンスです。
全編ニューヨークロケで、家族崩壊の過程を描いています。
(ここからネタバレあり)
評価:★★★(5段階)
多くのレビューで「分かりづらい」「掴みどころがない」という意見が多くありました。
私も同じ印象を持ちました。
ただ、この「中途半端さ」は意図的なものではないかとも思います。
多様性を意識しながら、文化の違いから本当の意味では理解し合えない社会への風刺として描かれているのではないでしょうか。
舞台はアメリカですが、これは日本でも、どこの国でも起こりうる話です。
ただ大きく違うのは、互いが異なる国で生まれ、母語が違う者同士であることです。
英語はあくまでコミュニケーションの「手段」であり、言葉に感情が乗りきれません。
そのズレが、見えないストレスとして二人の間に積もっていくのです。
映画の核心 〜言葉の暴力と空白〜
この作品は、真利子哲也監督が新たに挑んだ「見えない暴力」の物語です。
過去作『ディストラクション・ベイビーズ』のような肉体的暴力ではなく、言葉の断絶、心理的な暴力を描いています。
「BLANK」という空白
車に書かれた落書き「BLANK」。
これは夫婦の間にある空虚さを象徴しています。
母語ではない英語でのコミュニケーションが生む、微妙なズレと誤解。
言葉が届かないことで生じる沈黙や摩擦は、時に拳よりも残酷です。
対照的な二人の職業
賢治は廃墟研究者 -機能を失った構造物に関心を持っています。
ジェーンは人形劇師 -無機物に命を吹き込む仕事をしています。
この対比が、二人の関係性の本質を映し出しているのです。
秘密の露呈
カイの実の父親は賢治ではなく、ジェーンの元恋人でした。
誘拐犯はその元恋人で、廃墟に潜んでいた若者です。
賢治は薄々気づいていたのかもしれません——あの廃墟に迷うことなく辿り着いた時から。
物語の結末で、賢治は殺人を自白し逮捕されます。
ジェーンは言います。
「どこに逃げても地獄だ。でもあなたが必要」。
これは、秘密や罪を抱えながらも共に生きていく覚悟の表明です。
印象に残った細部
映画を通して鳴り響く、車の「キュルキュル」という音。
オルタネーターの故障だと修理工は言いましたが、直せないと突き放します。
この不快な音は、二人の関係が壊れていく不協和音のようでした。
ジェーンの人形劇の腕前は見事で、人形がまるで生きているかのように見えました。
一方で、彼女の両親は娘の仕事を認めておらず、会うたびに「仕事を辞めろ」と言います。
現代社会でよくある光景 -「送り迎えができない」「面倒を見られない」という些細なすれ違いが、いちいち喧嘩になります。
言葉に感情が乗らず、つい母国語で本音を漏らしてしまうのです。
音楽は不協和音というより、アンビエントのような構成でした。
ピアノの旋律も、まるで「答えのなさ」を表現しているかのようでした。
数日考えて、感じたこと
この映画は、もしかしたらADHDやHSP、ASDといった特性を持つ人々が日頃感じている世界の見え方を描いているのかもしれません。
私たちには「普通」に見えていることが、社会全体ではこのように映っている -人が気づかないような細かなことまで気づかなくていいんだよ、それが本音なのでしょう。
でも、気づいてしまって、黙っていられないから嫌われてしまいます。
グレーゾーンで生きる私たちは、一般社会では理解されにくく、かといって障害者側でも違和感を覚えることがあります。
どちらの世界にも完全には属せない。
この映画の夫婦が抱える「言葉が通じているようで通じない」感覚と、もしかしたら似ているのかもしれません。
西島秀俊さんが好きで観に行きましたが、今回の映画は難しかったです。
時折ウトウトしてしまった部分もありますし、一度で理解できる人がいたら素晴らしいとさえ思います。
でも、「親しい人こそが見知らぬ人(Dear Stranger)になってしまう」という現代の人間関係の複雑さを、この映画は詩的に、そして鋭利に描き出していたのかもしれません。