ラジオで興味深い話を聞きました。
子どもの体感温度は、大人より約7℃高いという実験結果についてだった。
大人の身長170cmと子どもの身長120cmの地点で気温を測ると、わずか50cmの違いで7℃も差があったというのだ。
つまり、大人が「今日は35℃か~」と感じている日、子どもにとっては42℃の世界です。
先日群馬県伊勢崎市で記録した41.8℃なら、子どもには49℃近い灼熱地獄ということになります。
しゃがんでみれば子どもの暑さが分かる、という番組での言葉が妙に印象に残りました。
この話を聞きながら、ふと思い出したのは昨夜から聞こえてくるヒグラシの鳴き声でした。
季節感の混乱
ヒグラシは私がとても好きなセミです。
あの独特の「カナカナカナ」という鳴き声は、本来なら夏の終わりから初秋にかけての風物詩のはずです。
俳句の季語としても晩夏から初秋の扱いだったと思います。
8月下旬頃から聞こえ始めて、「ああ、夏も終わりだなぁ」と感じさせてくれる存在でした。
ところが今年は8月中旬、まだまだ酷暑が続く中でヒグラシが鳴いています。
ここ数年、この前倒し傾向が続いているように感じます。半月ほど早まっているのではないでしょうか。
風流を感じるはずのヒグラシの声が、今では異常気象の証拠のように聞こえてしまうから皮肉なものです。
「100年に一度」が日常になった現実
子どもの体感温度の話も、ヒグラシの季節感の変化も、すべて同じ根っこから来ている問題だと思います。
温暖化による気候変動です。
最近、「50年に一度」「100年に一度」という言葉を耳にしない日がないほど災害が頻発しています。
本来なら極めて稀な災害が、もはや毎年のように各地を襲っています。
豪雨による水害、土砂災害、そして世界各地での森林火災。オーストラリアだけでなく、今では多くの場所で貴重な森が燃え続けています。
今年3月には日本でも大きな森林火災が問題になりました。
テレビのインタビューで、70代の方が「今までこんなことはなかった」と言葉を失っている姿を見ると、長年その土地に住む人ですら驚くほどの変化が起きていることがよく分かります。
温暖化懐疑論への疑問
以前、温暖化なんて嘘だと主張する方の話を聞いたことがあります。
しかし、その主張は科学的根拠に乏しく、都合の良い部分だけを取り出した偏った解釈に基づいているように感じました。
公人としては少し浅はかだなと思います。
現在進行形で起きているこの異常な状況を前にして、「温暖化なんてない」と言えるのでしょうか。
子どもたちが49℃近い暑さの中で過ごし、ヒグラシが季節を間違えて鳴き、毎年のように「観測史上最高」が更新される現実をどう説明するのでしょうか。
地球史的な視点で考えてみると
ただ、もう少し大きなスケールで考えてみると、また違った見方もできます。
地球は過去数十億年の間に、私たちが「温暖化」と呼んでいる変化よりもはるかに大規模な激変を経験してきました。
巨大な火山の連続噴火、隕石の衝突、全球凍結など、現在の気候変動なんて比較にならないほどの大災害を乗り越えてきたのです。
その視点から見ると、今人間が騒いでいる温暖化は、地球にとっては「ちょっとした変化」なのかもしれません。
地球が安定するまでの間、今よりもはるかに過酷な環境変化を何度も経験してきたのですから。
でも、だからといって現在の問題が軽いわけではありません。
ホッキョクグマにとっては氷が溶けることは生存に関わる大問題ですし、私たちにとっても生活に直結する深刻な課題です。
時間軸が違うだけで、それぞれの生き物にとっての重要性は変わらないのです。
解決への道筋は見えるのか
とはいえ、この流れを止める具体的な方法が見えないのも事実です。
結局、私たちはエアコンを使い続け、車に乗り続けています。
各国が集まって温暖化対策を議論しても、協調しない国があれば意味が薄れてしまいます。
政治的な優先順位も様々で、ウクライナ問題に注力する指導者にとって、温暖化対策は後回しになりがちです。
それでも諦めるわけにはいきません。
身近なところから始まる意識変化
番組で紹介された子どもの体感温度の話は、そんな大きな問題を身近に感じさせてくれました。
大人が感じる35℃と、子どもが体験する42℃の違い。
この7℃の差に気づくことから、私たちの意識は変わり始めるのかもしれません。
ペットの散歩も同じです。
人間の足元とアスファルトに近い犬の体感温度は、さらに大きな差があるでしょう。
50℃を超える路面を素足で歩くのと同じような状況かもしれません。
こうした小さな気づきの積み重ねが、やがて大きな変化につながることを願っています。
地球史的には「小さな変化」かもしれませんが、私たちにとっては大切な生活環境です。
ヒグラシが本来の季節に鳴く日が戻ってくることを祈りながら、今日もまた異常に早い「カナカナカナ」の声に耳を澄ませています。
