かつて私は、自分で立ち上げた店をやっていた。
夢を掲げて、人を雇い、看板を掲げて、走っていた。
けれど、ある日、経営は限界を迎えた。
資金も尽き、取引先も離れ、
最後は、私自身が心を閉ざしてしまっていた。
「もうだめだ」
「ここで終わりだ」
そんな言葉を何度も呟いた。
店を畳み、看板を外す日。
手にしたのは“終わり”の実感だった。
でも、ふと気づいた。

それまで毎日追われていた仕入れや在庫や電話や人間関係が、
なくなったことで、はじめて「心が空白になる時間」が生まれたのだ。
そしてその空白の中に、
「もう一度、何かを始めたい」という気持ちが
ほんのかすかに、芽を出しているのを感じた。
それは以前とは違う、
「こうでなきゃいけない」ではなく、
「こうだったらいいな」という、
小さな希望だった。
かつてのように、人を雇わなくてもいい。
大きな看板もいらない。
借金もしない。
でも、自分にできることを、自分の手で、もう一度やってみたい -。
「倒産」は失敗ではなく、
自分自身との向き合い方の見直しだったのかもしれない。
誰かに評価されることより、
誰かの暮らしの中に、静かに溶け込むような「何か」を届けたい。
看板は降ろした。
けれど、心の奥に灯した火は、前よりも消えにくくなっていた。
人生の中で、折れる瞬間は何度でもある。
でも、折れたからこそ見えるものもある。
倒産とは、失敗ではない。
ひとつの夢の“着地”であり、次の始まりの“滑走路”なのだ。
