F1と共に歩んだ人生から見た映画体験
監督: ジョセフ・コシンスキー
出演: ブラッド・ピット/ダムソン・イドリス/ケリー・コンドン/ハビエル・バルデム ほか
公式サイト:https://wwws.warnerbros.co.jp/f1-movie/
映画への第一印象:あの時代への郷愁
この映画を鑑賞して最初に抱いた印象は、かつてF1界を牽引したアイルトン・セナとアラン・プロストの関係性を彷彿とさせるものでした。
若手ドライバーとベテランドライバーの世代交代は、常にドラマを生む難しいテーマです。
本作では、主人公が30年前にはアイルトン・セナやミハエル・シューマッハらと競い合っていたという設定があり、まさにその時代の雰囲気を色濃く映し出しています。
主人公は当時、将来を嘱望されながらも、ドイツGPでの大きな事故をきっかけに一度はキャリアを断念せざるを得なかったという物語が描かれています。
レースが始まる前にクイーンの「We Will Rock You」が流れると自然と気分まで乗ってくるのは不思議なものです。あのスピード感には魅了されます。

据付のカメラからF1は一瞬で「シュンッ」という音と共に過ぎ去っていくのだけど、この光景は今でも震えるほどです。
実況も良いのですが、あの一瞬をとらえた音は今でも心に残っています。
F1黄金期の記憶:中嶋悟とセナの時代
1987年、日本人初のフルタイムF1ドライバーとして中嶋悟選手がロータス・ホンダよりデビューを果たしました。
34歳にしてタイのプリンス・ビラに次ぐアジア人として2人目の快挙でした。
1991年で引退するまでの5年間、ホンダと、チームメイトであったアイルトン・セナと共に、当時バブル景気で沸いていた日本にF1ブームを巻き起こしたのです。
F1は私の大学時代から長く、様々な喜びを与えてくれました。
当時のF1ファンであれば、懐かしい名前が次々と登場することに感慨を覚えることでしょう。
今振り返っても、当時の熱狂は鮮明に思い出されます。
F1の映画といえば、シルベスター・スタローン主演の『ドリブン』も思い出されます。
F1マシンが公道を走行するという、現実では考えられないような演出が話題を呼びましたが、その斬新で大胆な演出が観客に強烈な印象を残し、非常に面白いエンターテイメントとして記憶しています。
忘れられない記憶:母の死とアイルトン・セナ
母の死という悲しみに打ちひしがれながらも、F1だけは私の何よりの楽しみでした。
母の葬儀のために実家へ帰省した夜、楽しみにしていたF1の中継を観ていました。
しかし、画面に映し出される状況に私はただただ驚き、混乱しました。

「様子がおかしい」「どうしてこんなことになっているのだろう」と。
アナウンサーが「セナ」と叫んでいた声が、今も鮮明に耳に残っています。
1994年5月1日、「音速の貴公子」と呼ばれて親しまれたF1レーサーのアイルトン・セナが、34歳の若さでレース中に事故死してから、今年で31年という月日が流れました。
アイルトン・セナのことを思い出すと、いつも母のことを思い出します。
そして、母のことを考えていると、不思議なことに、全く関係ないはずなのに、セナのことを、そして当時の様々な思いと共に考えることがあるのです。
映画への考察:リーダーシップと年齢への疑問
あらすじにある「次第に圧倒的なソニーの才能と実力に導かれていく」という部分には、真のリーダーシップに通じるものを感じました。
「他者を巻き込む力」「この人と一緒に働きたいと思わせる魅力を持ち、人望を集めてチーム力を引き出せる人は、自然と周囲から協力が得られる」-まさにこれが本物のリーダーだと感じたのです。こちら
ただし、一つ大きな疑問も感じました。
主人公の「30年前」という設定です。
仮に当時30歳だったとしても、現在では60歳です。
現実的に考えて、この年齢で再びF1の世界に飛び込むというのは非常に困難であり、現実離れしていると感じました。
ブラッド・ピット(1963年12月18日生まれ、現在61歳)演じる主人公が若く見えるため、その若さがF1への復帰を可能にするかのように思えましたが、実際には彼の年齢も60歳を過ぎていると知り、驚きました。
俳優の方々が常に若々しく見えることに、無意識のうちに「いつまでも若い」と思い込んでしまっていたのかもしれません。
変化への抵抗と向き合う:日本社会と個人の成長
今年8月で閉館する109シネマズ高崎で、最後まで映画を観たいと思い足を運びました。
今回初めてオンライン予約を利用し、楽天ペイでの支払いが可能だと知ったのです。
この体験は、日本社会と個人の変化への姿勢について深く考えさせられるものでした。

日本は長らく現金社会、そしてクレジットカード社会として発展してきました。
電子マネーの普及は他国に比べて明らかに遅れ、新しい技術やシステムに対して慎重すぎるほど慎重な姿勢を取り続けてきました。
これは国民性なのか、それとも既存システムへの過度な信頼なのか。
おそらく両方の要素が複雑に絡み合っているのでしょう。
しかし、問題は社会だけではありません。
50歳を過ぎた自分自身も、新しいものに対して「知らない」「面倒だ」と目を逸らしがちになっていることに気づいたのです。
それが許せない。どこまでだって追いかけてやるという思いで今回の体験に臨みましたが、結果として「もっと早くするべきだった」という後悔が残りました。
なぜなら、もう8月には閉館してしまうからです。
この「時間の有限性」こそが、変化への抵抗の代償を浮き彫りにします。
便利さを享受できる時間は限られているのに、心理的な障壁によってその機会を自ら狭めてしまう。
これは個人レベルでも社会レベルでも同じ構造なのかもしれません。
F1への愛情が30年以上変わらないように、人は「変わらないもの」を大切にする一方で、「変わるべきもの」に対しては柔軟でありたい。
その境界線を見極める力こそが、これからの時代を生きる上で重要なのではないでしょうか。
